うさはちまんじんじゃ
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光洋台駅から東に少し行った山の中腹にあります
階段を少し登って広いところへ出たと思ったらまたその先に階段があり…を何回か繰り返して、けっこう階段を登ります
境内はわりと綺麗にされていて、社殿もすごく大きいわけではないのですが立派な感じでした
神社庁のページを見るとかつて粟井・五明二郷二十五村の総氏神だったと書かれてあるのでなるほど立派なわけだと得心しました(五明もとなるとかなりの広範囲になるので)
境内から帰る参道の階段からは北条の海が見渡せ心地よい風が吹いていました
震災に遭ったことがあるのでしょうか
参道の途中
良い雰囲気です
熊野大社へ参拝した記念碑がありました
近くには駐車場の拡張記念碑もあり、記念碑が多いなと思ってちょっと面白かったです
階段まだ少し続きます
参道途中にある手水舎
使用されている気配はありませんでしたが水道からは水は出ました
こちらが境内への最後の階段
ご由緒書き
境内にも手水舎がありました
現在はこちらのほうが使われているようです
拝殿内におみくじの機械が後ろ向きに置かれていました
現在は使われていないのでしょうか
天井部分に沢山の奉納された絵が飾られていました
招霊の木
本殿は拝殿から斜めに渡殿が伸びていて一段高い場所にありました
歴史
往昔、阿和寝の浜の阿和意坂に日女宮の古社があった。延暦23年6月17日安芸厳島から三女神を勧請し合祀した。国守河野権守が国中へ十四社を勧請した一社で、延長元年8月15日奉勅によって河野伊予守が豊前宇佐八幡宮を勧請した十八社のうちの一社でもある。
天慶年中に河野好方が祈願して神護を得、藤原純友を討って奉幣し、治承年中には河野通孝、通員が諸将を率いて参籠して戦捷を祈願したが、河野通清は奴入道西寂のために粟井坂にて戦死したので、天暦年中河野四郎通信は祈願の末、西寂を始め平氏の党を討ち、亡父の怨魂を慰めたので道後七郡の守護に補された。
後、文治5年に当社を磯河内宮の鼻に遷し、粟井明神と称して神田を献じ、粟井、五明二郷二十五ヶ村の総氏神と定めた。
後、現在の地に遷し、宇佐八幡宮と称した。松山城主の参勤交代には奉幣があり、宝暦年中には風早郡祈願所となり、藩費を以って祭事を執行した。
名称 | 宇佐八幡神社 |
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読み方 | うさはちまんじんじゃ |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
電話番号 | 089-979-0348 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 足仲彦命(たらしなかつひこのみこと) 誉田別命(ほむだわけのみこと) 気長足姫命(おきながたらしひめのみこと) 天照皇大神(あまてらすすめおほかみ) 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 田心姫命(たごりひめのみこと) 湍津姫命(たぎつひめのみこと) |
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創建時代 | 延暦23年 |
ご由緒 | 往昔、阿和寝の浜の阿和意坂に日女宮の古社があった。延暦23年6月17日安芸厳島から三女神を勧請し合祀した。国守河野権守が国中へ十四社を勧請した一社で、延長元年8月15日奉勅によって河野伊予守が豊前宇佐八幡宮を勧請した十八社のうちの一社でもある。
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