しののめじんじゃ
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東雲神社参拝しました🎵
近くに松山城あります。
松山城からの途中休憩で、近くの蛇口みかんジュースセットがおすすめです。
近くの加藤嘉明公騎馬像
近くの松山城かっこいい
近くの坊ちゃんとマドンナ像
蛇口みかんジュース
疲れた体に甘いはれひめがおすすめ
愛媛に帰ってきて真っ先に東雲神社に向かいました
一年のうち正月三が日の間のみ御朱印をいただけるそうなので前々から是非正月の間に伺いたいと思っていました
が、着いた時点でわずかに17時をまわっており、宮司さんはご不在のようでした
来年…また来年ですね(苦笑)
雨が降る静かな中参拝をして帰りました
こちらにお参りするのは30年ぶりくらいです
まあまあ長い階段が続きます
松山城のふもとにあるだけあってどことなく雰囲気が城内っぽいです
立派な社殿
歴史
文政6年12月18日、十二代藩主久松定通公が松山城山揚木戸へ仮宮を営み、従四位下左近衛権少将兼隠岐守源朝臣定勝公の神霊を招請し、息長福玉命と称え、天保8年9月28日神祀官領内勾當の長上従二位ト部朝臣良長卿の執奏により、詔勅を以って東雲霊神の霊号を賜り、同年10月1日東雲霊社の社号を賜り、同月7日明神号に進み、同月15日東雲大明神と称し、天保11年3月14日従四位左近衛権少将松平隠岐守源朝臣定穀の代に、神殿を城山長者ヶ丘に建立した。 爾米一藩崇敬の神社であった。 明治13年2月東雲神社と改称し県社に列格。大正12年4月1日息長福玉命の三百年祭を執行、昭和20年7月26日戦災に罹り焼失し、同48年復興した。
名称 | 東雲神社 |
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読み方 | しののめじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 089-921-8938 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》天穂日命,菅原道真公,息長福玉命,奇足玉命 |
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創建時代 | 1823年(文政6年) |
本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 文政6年12月18日、十二代藩主久松定通公が松山城山揚木戸へ仮宮を営み、従四位下左近衛権少将兼隠岐守源朝臣定勝公の神霊を招請し、息長福玉命と称え、天保8年9月28日神祀官領内勾當の長上従二位ト部朝臣良長卿の執奏により、詔勅を以って東雲霊神の霊号を賜り、同年10月1日東雲霊社の社号を賜り、同月7日明神号に進み、同月15日東雲大明神と称し、天保11年3月14日従四位左近衛権少将松平隠岐守源朝臣定穀の代に、神殿を城山長者ヶ丘に建立した。 爾米一藩崇敬の神社であった。 明治13年2月東雲神社と改称し県社に列格。大正12年4月1日息長福玉命の三百年祭を執行、昭和20年7月26日戦災に罹り焼失し、同48年復興した。 |
Wikipediaからの引用
概要 | 東雲神社(しののめじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社。神紋は星梅鉢。旧社格は県社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。 |
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歴史 | 歴史[編集] 文政6年(1823年)、松山藩11代藩主松平定通が、藩祖である松平定勝の神霊を祀るため、京都の吉田家に神号授与を要請し、息長福玉命の神号を得て、松山城山揚木戸に仮宮を造営し仮勧請した。 文政11年(1828年)、藩祖松平定勝の嫡男松平定吉の神霊を境内の祠へ勧請した(神号は稚国命)。 天保8年(1837年)、12代藩主松平勝善は、松平定勝の神号授与を再度依頼し、東雲大明神の神号が授与され、松山城内の御社へ正式に勧請した。(この年より、松山城山長者が丘に社殿の造営が開始) 天保11年(1840年)、社殿が完成し、藩崇敬の神社とした。 1880年(明治13年)、県社に列した。 1...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 年中行事[編集] 春季例大祭 秋季例大祭 |
引用元情報 | 「東雲神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%B1%E9%9B%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101355731 |
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