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圓明寺ではいただけません
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圓明寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年06月01日(木)
参拝:2023年4月吉日
【須賀山(すがざん)正智院(しょうちいん)圓明寺(えんみょうじ)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗智山派
開基:行基菩薩
圓明寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願で749(天平勝宝元)年、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫って安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。のち、弘法大師(774-835)が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代の兵火で荒廃、元和年間(1615-1624)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに、1636(寛永13)年、京都・御室の覚深法親王(かくどうほうしんのう)からの令旨(りょうじ)により仁和寺の直末寺として再建され、寺号もそのとき現在のように改められている。
本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗智山派
開基:行基菩薩
圓明寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願で749(天平勝宝元)年、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫って安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。のち、弘法大師(774-835)が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代の兵火で荒廃、元和年間(1615-1624)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに、1636(寛永13)年、京都・御室の覚深法親王(かくどうほうしんのう)からの令旨(りょうじ)により仁和寺の直末寺として再建され、寺号もそのとき現在のように改められている。
【53_T.Hamada's view】
左から 中門、手水舎、鐘楼。
左から 中門、手水舎、鐘楼。
【53_キリシタン灯篭】
キリシタン禁制の寛永年間に建てられたと言われる十字架型の「キリシタン灯篭」。周辺に信者が多く、隠れ信者の礼拝がなされていたと考えられている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
キリシタン禁制の寛永年間に建てられたと言われる十字架型の「キリシタン灯篭」。周辺に信者が多く、隠れ信者の礼拝がなされていたと考えられている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【53_キリシタン灯篭】
高さ40㎝ほどの灯篭に聖母マリア像が刻まれている。
高さ40㎝ほどの灯篭に聖母マリア像が刻まれている。
【53_中門から見る本堂】
【53_大師堂】
【53_仁王門】
【53_仁王阿形像】
【53_仁王吽形像】
【53_中門】
境内の真ん中にある。
境内の真ん中にある。
【53_龍の彫刻】
本堂の右上・鴨居にある5mほどの彫り物。左甚五郎の作。行い悪い人が見ると目が光るという。
本堂の右上・鴨居にある5mほどの彫り物。左甚五郎の作。行い悪い人が見ると目が光るという。
【53_閻魔大王】
すてき
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