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2026年03月28日(土) 13時16分 by高砂あさっぴー

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郵便番号
編集後
791-8085
ご由緒
編集前
往古、湊山に鎮座し、御津大明神とも湊大明神とも称した。聖武天皇神亀5年8月勅詔によって国司小千宿弥玉興、玉純父子が、伊予九四郷に一社宛、大三島大明神を勧請のとき、此の湊山に勧請し、本郷一宮と称えた。
 文治2年河野四郎通信が湊山に築城のとき、当社を山の南麓に奉遷した。文永、弘安年中蒙古襲来のとき河野通有、同通純は水田三反を献じて武運長久を祈り、元弘3年9月河野伊予守通能は神殿を修理し、北條太夫越智親孝、同新太夫越智親経は此の地に別亭を構え、その祖、饒速日命、伊予王子等の神霊を祭祀した。河野通春、同通篤は湊山に居城して尊崇篤く、文明年の足利勢と合戦死後の霊を祀った。
 慶長年間加藤左馬守嘉明は社殿を修理し松平隠岐守が藩主となっては御用船出入り安全海路守護神として尊崇し、社殿を修理、毎例祭には代参があった。また、往古より住民ならびに航海を業とする者等、大綿津見命、速秋津神等を奉斎し伊予の熟田津、成田津、秋田津の総守護神、三津大明神と称して尊崇し、湊大明神とも称え、後に湊三嶋大明神社と称した。
編集後
往古、湊山に鎮座し、御津大明神とも湊大明神とも称した。聖武天皇神亀5年8月勅詔によって国司小千宿弥玉興、玉純父子が、伊予九四郷に一社宛、大三島大明神を勧請のとき、此の湊山に勧請し、本郷一宮と称えた。
 文治2年河野四郎通信が湊山に築城のとき、当社を山の南麓に奉遷した。文永、弘安年中蒙古襲来のとき河野通有、同通純は水田三反を献じて武運長久を祈り、元弘3年9月河野伊予守通能は神殿を修理し、北條太夫越智親孝、同新太夫越智親経は此の地に別亭を構え、その祖、饒速日命、伊予王子等の神霊を祭祀した。河野通春、同通篤は湊山に居城して尊崇篤く、文明年の足利勢と合戦死後の霊を祀った。
 慶長年間加藤左馬守嘉明は社殿を修理し松平隠岐守が藩主となっては御用船出入り安全海路守護神として尊崇し、社殿を修理、毎例祭には代参があった。また、往古より住民ならびに航海を業とする者等、大綿津見命、速秋津神等を奉斎し伊予の熟田津、成田津、秋田津の総守護神、三津大明神と称して尊崇し、湊大明神とも称え、後に湊三嶋大明神社と称した。
ご祭神/ご本尊
編集前
大綿津見神(おほわだつみのかみ)
速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)
瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)
伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
大山積神(おほやまつみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
饒速日命(にぎはやひのみこと)
伊予皇子(いよのみこ)
上筒男神(うはつつのをのかみ)
中筒男神(なかつつのをのかみ)
底筒男神(そこつつのをのかみ)
武雷神(たけいかづちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
越智宿弥通春公霊(おちのすくねみちはるこうのみたま)
編集後
大綿津見神(おほわだつみのかみ)
速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)
瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)
伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
大山積神(おほやまつみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
饒速日命(にぎはやひのみこと)
伊予皇子(いよのみこ)
上筒男神(うはつつのをのかみ)
中筒男神(なかつつのをのかみ)
底筒男神(そこつつのをのかみ)
武雷神(たけいかづちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
越智宿弥通春公霊(おちのすくねみちはるこうのみたま)
アクセス
編集前
伊豫鉄道高浜線港山駅下車2分
松山観光港より車で5分
松山空港より車で15分
編集後
伊豫鉄道高浜線港山駅下車2分
松山観光港より車で5分
松山空港より車で15分
参拝時間
編集後
24時間
創立
編集後
728年(神亀5年)
創始者/開山・開基
編集後
小千宿弥玉興、小千宿弥玉純
中興の祖
編集後
河野四郎通信
Restored time
編集後
1186(文治2年)
社格