じんじゃ
神社(名称不明)のお参りの記録一覧
香取市三ノ分目地区にある神社にお詣りして来ました。
仕事を早めに切り上げ、息栖神社の駐車場で「さて、日没まで少し時間がある。どこかお詣りできないかな?」と考えていました。(息栖神社にお詣りしろや💢)
「そうだ、与田浦周辺(息栖から川を挟んだ向こう岸)の下見でもしてみよう!」夕暮れ時にうっかりお詣りすると、迫力満点のミステリースポットになっていることがあるので、今日は下見に切り替えることにしました。
通常、茨城県と千葉県は利根川本流が県境になっていますが、香取市に於いては、利根川の北側(茨城県側に)、飛び地のような格好で千葉県に籍を置く土地が存在しています。住民の中には、職場や学校など、主な生活圏が茨城県という人も数多くいらっしゃいます(うちの職場にも、もはや何県民かわからなくなってるチバラキ県民が多数います)。歴史的には、利根川の氾濫により、本流の位置が変わり、香取市を分断してしまったということが原因となります。この事がやがて、潮来の衰退と佐原の繁栄を招くことになります。
太古の昔には香取の海といわれた内海に、海退と上流から押し流された土砂が堆積して産み出された砂州のような土地なので、あたり一面、遮るものの無い、広大な田園風景が広がっています。
このあたりは、水面と地面の高低差がほとんどなく、一瞬、水の上を走行しているような錯覚に襲われます。
特にあてもなく、うろうろと車を走らせます。田んぼと畦道しかないので、何の収穫も無いまま、とっぷり日も暮れてしまいました。
ふと、西の空を見ると、厚い雲の切れ間に、夕焼け空が顔を覗かせ、幻想的な風景を造りだしています。地平線の中央には筑波山が見え、その先に御天道様が沈もうとしています。
この一帯が香取の海と呼ばれた頃、海を囲むように神的空間が存在してました。筑波山を御神体(イザナギ、イザナミ)とし、香取の海の入り口、両岸には、鹿島神宮、香取神宮を配置し、沖の洲には息栖神社が水先案内人のように鎮座しています。(沖洲・おきす=息栖神社)
古代人は、高天原、葦原の中つ国、黄泉の国という垂直方向に広がる世界を、東西に置き換えて見ていたそうです。つまり、西に黄泉の国を司る出雲大社、奈良盆地を葦原の中つ国、奈良から東の端、志摩半島に伊勢神宮という具合に。
神威が最も弱まる冬至の頃、御天道様は、ちょうど鹿島灘の方向から登ります。古代人はこの香取の海を、高天原と見立てて霊的空間を造りだしたのかもしれません。(鹿島神宮から真東の海に面したところに高天原という地名があり武甕槌神が国見をしたと言われています)
………という、前置きをして、改めて夕日が沈む筑波山を眺めるとなんだか、関東平野をまたにかけた巨大な神社が出現したような錯覚を覚えます。
気分はすっかり異世界に入り込んでしまってます。
そんな気分を引きずったまま、目の前に神社らしきものが出現すると、高天原に現れた神様のように思えて来ます。
どうせなので、ここは正気に戻らずに、ふわふわした気分のままお詣りします。周りの田んぼが雲の上みたいに見えています。(あくまで個人の感想です)
平らな土地に、ぽつりぽつり背の低い木が。やっぱりここ高天原だ。
鳥居です。
狛犬です。
本殿です。
帰り道、浪逆浦の夕焼けがきれいでした。
葦の洲には鳥が休んでいました。
今回は、ちょっとしたナノツーリズムを堪能できました。おもしろかった!
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