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たちばなじんじゃ

橘樹神社のお参りの記録(2回目)
千葉県本納駅

投稿日:2021年09月18日(土) 11時57分47秒
参拝:2020年9月吉日
橘樹神社(たちばな~)は、千葉県茂原市にある神社。式内社で、上総国二之宮。旧社格は県社。主祭神は弟橘比売命(おとたちばなひめ)。相殿神は日本武尊(弟橘比売命の夫)、忍山宿禰(おしやまのすくね;弟橘比売命の父)。

『古事記』、『日本書紀』によると、日本武尊の東征の際、相模から海路上総に渡る時暴風雨に遭い、弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救った記事があるが、社伝によると日本武尊が当地に弟橘媛の御陵を造り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えた祀ったことに始まったとしている。国史の初見は『日本三代実録』で877年に神階奉授の記載があり、884年に神階昇叙と日本武尊、忍山宿禰合祀の記載がある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「上総国 長柄郡 橘神社 小」と記載されている。中世以降、上総国の二之宮となり、江戸時代の1681年には神階が最高位の正一位に達した。明治の近代社格制度の下では県社に列格した。

当社は、JR外房線・本納駅の北方1kmほどの平地にある。伊南房州通往還という幹線道路沿いにあって、境内はかなり広々としている。草木はやや少なめで、古木はあまりない。弟橘媛ゆかりの池や御陵があって、古事記・日本書紀の世界に思いを馳せることができる。

今回は、上総国の式内社、上総国二之宮、千葉県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者は見掛けなかった。

※実は参拝は2回目。前回は参拝時間が遅く、社務所が閉まっていたため御朱印を拝受できなかったので再参拝。
橘樹神社の鳥居
境内南端にある<一の鳥居>と<社号標>。この後、鳥居が4つ連続する珍しい造り。
橘樹神社の鳥居
<四の鳥居>の手前には、小さな<神橋>がある。
橘樹神社のその他建物
樹木は適度に間引かれ、雑草一つない境内は気持ちが良い。
橘樹神社のその他建物
やがて社殿まわりが見えてくる。元気な巨木が良い感じに境内を覆っている。
橘樹神社の手水舎
参道左手の<手水舎>。しっかりした屋根。
橘樹神社のその他建物
さらに進んで、参道右側の<社務所>。御朱印はこちら。
橘樹神社の本殿・本堂
<拝殿>遠景。当社では、鳥居が4つもあって驚いたが、<狛犬>も3対立っている。
橘樹神社の本殿・本堂
<拝殿>全景。落ち着いた色合いの神明造の拝殿。
橘樹神社の本殿・本堂
<拝殿>正面。正面だけではなく、全ての扉が解放されている。
橘樹神社の本殿・本堂
拝殿内にある扁額を覗き込んでびっくり!(;゚Д゚)
<橘木神社>の字は、鹿島神宮、香取神宮の扁額を書いた東郷平八郎伯爵の筆。戦前はそのぐらい社格が高かったということかな。
橘樹神社のその他建物
拝殿手前、右側にある<神輿庫>。
橘樹神社の本殿・本堂
拝殿の左側から廻り込んで、<社殿>全景。
橘樹神社の本殿・本堂
<本殿>および<幣殿>。本殿は神明造ではなく、幣殿が赤い屋根であるところからすると、それぞれの再建時期が違うのかな?
橘樹神社の末社・摂社
社殿の左手にある3つの末社。鳥居も社殿も、3つ大きさが違っているのが面白い。右から順(大きい方から順)に<窟戸神社>、<子安神社>、<稲荷神社>。扁額には<天手力雄命>、<木花咲耶媛命>、<保食命>とそれぞれの祭神が書かれている。
橘樹神社のその他建物
3末社の奥にある<弟橘比賣命御陵>の碑。ここから北側は、神域につき立ち入り禁止。
橘樹神社の末社・摂社
社務所近くまで戻って、社務所の対面にある境内社。
橘樹神社の自然
上の境内社の右隣にある、枯死した巨木の幹。かつての御神木かな?
橘樹神社の末社・摂社
少し参道から離れたところにある<吾妻社>。
橘樹神社の本殿・本堂
最後に<拝殿>全景。落ち着いた佇まい。

すてき

御朱印

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