たまさきじんじゃ
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東総地区神社巡り⑦下総国の二宮(論社)です。御祭神は玉依姫尊、日本武尊の東征の際相模から房総に弟橘媛のおかけで無事に渡った。そこで海神の娘であり神武天皇の母である玉依姫尊を祀り海上平安、夷賊鎮定を祈念したしたとされます。二宮という社格ながら境内は無人でのどかな雰囲気、社殿は威風堂々として各を思わせています。時折参拝者も訪れますがすぐに帰っていきます。境内社も多いですが、そのほとんどが石祠のようなもので、神社裏手はあまり手が行き届いていなき感じがしました。ここまで九十九里シーサイドラインを走ってきましたが、海は全く見えず近くの海からは運が良ければ富士山も望めるらしいのですが今回は(いつも観光らしいものはしていない)行かず。拝殿前に用意されている御朱印を拝受いたしました。
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下総國二之宮 玉崎神社
御祭神・玉依毘売命、
配祀 日本武尊
ご由緒
御祭神
玉﨑神社の御祭神
玉﨑神社は、景行天皇十二年の御創祀と伝えられている。
天皇の皇子、日本武尊が東夷征討の砌、相模より上総にお渡りになろうとして海難に遭われた際、御后弟橘姫命(オキサキオトタチバナヒメノミコト)が「これは海神の御心に違いない」といって入水されたことで、無事、上総の国につくことができ、更に、海路葦の浦より下総玉の浦にお渡りになられた。そこで尊はその霊異を畏まれ、海上平安・夷賊鎮定のために玉の浦の東端「玉ケ崎」に海神玉依毘売命の神霊を斎き奉るによる。
後世、「玉ケ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して、竜王の鎮まり坐す崎と言うようになったものである。中世には下総國二之宮・玉の浦総社と称され、武門武将の崇敬厚く、平貞盛・源頼朝・千葉常胤等が参拝され、それぞれ祈願や奉賽のために奉幣や社殿の造営にかかわられた。しかし、竜王岬の欠損がはなはだしく、加えて、天文2年に兵火にかかって社殿は烏有に帰したので、現今の地に御遷座申し上げた。
江戸時代に入って、上総國一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏・久留里藩主黒田氏等武人の崇敬はもとより、平田篤胤・平田銕胤・大国隆正等の文人が参詣している。この頃の飯岡は、九十九里の代表的な漁場として隆盛を極め、相模・三河・紀伊・伊予・阿波・和泉・安芸等の国々よりの移住者も多く、天保水滸伝に名高い飯岡助五郎もこの地に渡って社領地に住み、当神社の潮祭には一党を引き連れ参拝し、奉納角力を執行した。近年には、画家竹久夢二等も参詣し、「飯岡の明神様」として御神威赫々たるものがある。

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