おいおじんじゃ
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老尾神社ではいただけません
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老尾神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月05日(火)
参拝:2020年10月吉日
老尾神社(おいお~)は、千葉県匝瑳市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。主祭神は阿佐比古命(あさひこ;香取神宮の祭神・経津主命の御子神)、配祀神は磐筒男命、磐筒女命、国常立命。(物部小事(もののべのおごと)を祭神とする説もある。)
社伝によると、創建は崇神天皇7年(紀元前91年)。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 匝瑳郡 老尾神社 小」に比定されている。匝瑳郡に隣接する香取郡の香取神宮との関係が深く、匝瑳郡唯一の式内社として下総国匝瑳郡惣社とされた。室町時代の1369年に社殿を焼失したが、千葉氏によって再建され、以後千葉氏の保護を受けたが、戦国時代以降、千葉氏の衰退ととともに当社も衰退した。明治時代には、近代社格制度の下、郷社に列格した。
当社は、JR総武本線・八日市場駅の北西2kmの、緩やかな丘陵地帯の小丘の上にある。周囲は林になっていて、社殿周りと参道だけが整地されている。境内は社殿、手水舎、境内社(石祠)とシンプルな構成で、やや小さめの旧郷社といったところ。天気の良い日だったこともあり、木々の間から注ぐ太陽の光が爽やかだった。
今回は、下総国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中で、周囲に学校が多い(小中高4校ほどがある)ためか、子供連れの家族などが散策していた。
社伝によると、創建は崇神天皇7年(紀元前91年)。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 匝瑳郡 老尾神社 小」に比定されている。匝瑳郡に隣接する香取郡の香取神宮との関係が深く、匝瑳郡唯一の式内社として下総国匝瑳郡惣社とされた。室町時代の1369年に社殿を焼失したが、千葉氏によって再建され、以後千葉氏の保護を受けたが、戦国時代以降、千葉氏の衰退ととともに当社も衰退した。明治時代には、近代社格制度の下、郷社に列格した。
当社は、JR総武本線・八日市場駅の北西2kmの、緩やかな丘陵地帯の小丘の上にある。周囲は林になっていて、社殿周りと参道だけが整地されている。境内は社殿、手水舎、境内社(石祠)とシンプルな構成で、やや小さめの旧郷社といったところ。天気の良い日だったこともあり、木々の間から注ぐ太陽の光が爽やかだった。
今回は、下総国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中で、周囲に学校が多い(小中高4校ほどがある)ためか、子供連れの家族などが散策していた。
細い公道の脇に<社号標>を発見。鳥居はないが、ここから侵入してみる。
数十m歩くと、<鳥居>を発見。遠くにも社殿が見えてひと安心。参道の両側が盛り上がっている。逆に土地を掘って参道を造ったのかな?
鳥居をくぐる。参道両脇の木々は、多すぎず少なすぎず絶妙な塩梅。木々の間から差し込む日差しが柔らかく、空気感が気持ちが良い。
いよいよ社殿。太い古木が社殿を守っているみたい。
簡素な<手水舎>。でも新しそうだし、きれいに手入れもされている。
<拝殿>全景。トタン葺のシンプルなもの。
拝殿正面に掛かる扁額には<延喜式内匝瑳一座 老尾神社>と書かれている。実は新しそう。
拝殿内を覗き込んでみると、もう一つ、かなり古そうな扁額が。
<社殿>全景。全体としてオールドルックだが、蜘蛛の巣は張っていないし、地面は掃き清められているし、現在でも大事に扱われている感じが伝わる。
拝殿の後ろの<本殿>。
社殿近くにある境内社の<子安宮>。社殿は石祠だが、大きな木製鳥居付き。
林に踏み込む前は、蜘蛛の巣をかき分けながら進むサバイバル系かと思ったが、手入れが行き届いた爽やかな森林浴ができるいい神社。(´∀`*)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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