しばさきじんじゃ
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柴崎神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》天之御中主命 《相》倉稲魂命・素盞嗚命 | |
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ご由緒 | 柴崎神社は、旧水戸街道、柴崎字天王谷にある。祭神は天御中主命で、相殿に素盞鳴尊、蒼稲魂尊の二神を祭りべつに日本武尊、別雷神、金山彦命、大山昨命を合祀している。
景行天皇の四十年、日本武尊が征途の安全を祈り、武運長久を祈願したといわれ、承平・天慶の頃は平将門の祈願所として崇敬あつく、柴崎左馬督が社殿を修理したが、平将門没後は一時社運が傾いた。のち、永禄四年(1561)柴崎城主荒木三河守が修復し、天正元年(1573)の役で小田原北条氏に下り、刀一振を献納して永世二心なきことを誓った。
寛文五年(1665)に甲州武田の旧臣初鹿野伝右衛門が、徳川の家臣として柴崎の地を加給せられ、神社の由緒を聞いて家宝の大身槍を奉納し、同十一年親見弥一郎正徳、この地の知行主として、弓一張を献じている。
享保十三年(1728)に現在の石段を築き、享和三年(1803)に大鳥居を建て、天保十三年(1842)に正一位稲荷大明神の神号を贈られた。明治元年妙見社の号を北星社に改め、同十三年、柴崎神社と公称するようになった。 | |
歴史 | 由緒[編集] 日本武尊が、征途の安全と武運長久を祈願し幣を立てたことが当社の起こりであるといわれ、天慶元年(938年)に創建されたといわれている[1]。 また平将門の祈願所であったとも伝えられている[2]。 敷地326坪の境内には、本殿(流造)、幣殿(流造)、拝殿が建ち並び、天御中主神を祭神とし、かつては妙見社と呼ばれていたが、明治元年(1862年)北星社と改め 、明治13年(1880年)に柴崎神社と改号した[1]。 その後明治39年(1906年)には神饌幣帛料供進社に指定された。 大正以降は湯下家が神職を務めている。平成後期に境内が整備され一新された[2]。 ^ a b 柴崎神社ま...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「柴崎神社 (我孫子市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9F%B4%E5%B4%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%88%91%E5%AD%AB%E5%AD%90%E5%B8%82%29&oldid=88250342 |
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