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2024年02月25日(日) 07時05分 byくし
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ちょうめいじ
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長命寺の伝承では、開基・西念さいねんの俗姓は井上三郎貞親さだちかといい、信濃国下高井郡井上を本拠地とした井上満実みつざねの子で、また八幡太郎(源)義家よしいえの曾孫にあたるとされる。 貞親は父・満実が合戦で亡くなったことで世の無常を観じ、越後国府に流罪中の親鸞聖人を訪ねて帰依し、西念と法名を賜ったと伝えられる。 百八歳で往生した西念 西念は、親鸞聖人が越後から関東へと移る際にも随行したといわれる。 長命寺の伝承では、西念の妹が野田の神主高梨氏に嫁いでいた関係で、親鸞聖人は西念と一緒にこの地を訪れ、西念に「西念寺」を建立させたという。時に承久2(1220)年と伝えられる。 正応元(1288)年、本願寺第三代覚如かくにょが東国の親鸞聖人聖跡を巡回に訪れたとき、百七歳になっていた西念は、聖人在世の様子を逐一話したという。これに感銘を受けた覚如は、長寿の西念を讃えて「長命寺」という寺号を与えたと伝えられている。 西念はその翌年の正応2(1289)年、百八歳にて往生を遂げたという。 「太子堂」という地名 後に長命寺は、建武の兵乱(1335年)で戦火に遭い、一時期野田の地から退いたと伝えられる。 長命寺境内には、享和元(1801)年に再建されたという太子堂がある。見事な彫刻が施されたその堂内には、親鸞聖人の手によると伝えられる聖徳太子十六歳のときの孝養きょうよう太子像が安置されている。 野田は江戸期に醤油の産地として栄え、太子堂にはこの地域だけでなく江戸を始め各地からの奉納品も数多くあり、広く民衆の信仰を集めてきたことがうかがえる。野田の「太子堂」という地名もこの御堂から発祥している。 毎年4月15日に太子講たいしこうが行われている。 (真宗教団連合HPより)
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《本尊》阿弥陀如来 《堂宇》太子堂
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親鸞二十四輩の第七番
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あり
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極楽山
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聴衆院
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承久2(1220年)
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西念
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親鸞二十四輩 第七・西念
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4103228