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楽しみ方

総寧寺のお参りの記録(1回目)
千葉県矢切駅

投稿日:2026年04月06日(月) 06時25分23秒
参拝:2026年3月吉日
市川市国府台地域の寺院巡り、最後は総寧寺。
里見公園を出て外周に沿って北上、公園から見て北東側に隣接しています。安國山総寧寺、釈迦如来をご本尊とする曹洞宗のお寺です。

1383(永徳三)年、近江国観音寺城主佐々木氏頼により、通幻寂霊禅師を開山として現在の滋賀県坂田郡近江町に建立。戦国期に焼失したが、1575(天正三)年、北条氏政より寺領二十石を与えられ下総國関宿(現千葉県関宿町)へと移された。

しかし関宿の地で度々水害に見舞われた為、1663(寛文三)年に徳川四代将軍家綱に願い出て現在の国府台へと移転した。寺領百二十八石五斗余り、山林六万七千余坪。さらには栃木県大中寺、埼玉県龍穏寺とともに全国の曹洞宗寺院を統括する「関三刹(かんさんさつ)」に任ぜられ、末寺3000余寺を擁するに及んだ。
また、總寧寺歴代住職には十万石の格式を持つ全国曹洞宗寺院の総支配権を与え、すべての人事をつかさどる僧職・大僧録に任じ、江戸小石川に邸を与えられた。

国府台一帯は戊辰戦争の舞台となり
、總寧寺も戦乱の火災により伽藍の大半を消失。1872(明治五)年ね学制の施行により、第一大学区の大学校舎の建設用地となったが、その後に陸軍用地となり、1958(昭和三三)年に現在の里見公園となた。
この公園(かつての境内)と現在の寺域の関係は、経緯は少し異なりますが、上野公園と寛永寺の関係に似ていますね。

この日は里見公園では桜はまだお預けでしたが、境内ではほぼ三分咲きの桜が楽しめました。下部が石造りでその上に木造造の楼閣が乗った、特徴的な中門。本堂にお参りした後、本堂に向かって左手にある小笠原政信夫妻の供養塔(五輪塔)前へ。江戸時代、小笠原氏は関宿の地を領していた為、その後当寺が国府台に移転した後にもここに建立されている。室(妻)は板倉重昌の娘との事。江戸期の関宿、国府台の歴史を感じられる市指定文化財です。
総寧寺(千葉県)
山門
総寧寺(千葉県)
総寧寺(千葉県)
総寧寺(千葉県)
総寧寺(千葉県)
中門。石造りの下部に木造の楼閣が乗った珍しい構造。
総寧寺(千葉県)
本堂。
総寧寺(千葉県)
小笠原政信夫妻の供養塔。左が室(妻)のもので、板倉重昌の娘との説がある。

すてき

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