むてはちまんじんじゃ
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楽しみ方六手八幡神社の御由緒・歴史
歴史詳細情報
古代房総における土着の豪族「悪縷王(あくるおう)」は、又の名を「六手王」と言い、当神社を祀る六手の地から発祥したと伝えている。 大和朝廷の勢力が東国に及んだ古墳時代の初期には六手集落も既に形成され、此の地方の開拓も進められたとある。
国家建設の犠牲になった悪縷王の霊魂を鎮めるために鹿野山に霊場ができ、やがて神野寺が創建され、この寺院の本尊として祀る「軍茶利明王」は悪縷王の化身(神格化された姿)であるとして信仰を集める等、当地方には数々の開拓発祥の伝承が残されている。
当八幡神社は、上古における須恵国(後の上総国周准郡)六手集落草創の祖神を祀ると伝え小糸川に接する台地上の古墳遺跡群の中に鎮祭されている。本社の背後には四基の円墳を始め周辺には多くの古墳や遺跡群が存在する。
鎌倉時代に至って、この地方に八幡信仰が伝播すると、第十五代応神天皇である誉田別命、御母 神功皇后を主神として祀り、社号を「鶴舞八幡宮」と命名した。明治に至り社号を「八幡神社」と改称し、旧周南村一円を始め近郷の篤い崇敬を受け現在に至る。
| ご祭神 | 誉田別命(応神天皇)・息長帯姫命(神功皇后) | |
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| ご由緒 | 六手集落草創の祖神を祀り、小糸川に接する台地上の古墳遺跡群の中に鎮座します。
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