ちょうみょうじ
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楽しみ方長妙寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2026年02月25日(水) 12時38分16秒
参拝:2026年2月吉日
有名な『八百屋お七』のお墓がある長妙寺様へ2年ぶりに、お参りに行って来ました🙏🏻
境内を作り替えているさいちゅうでした。
★長妙寺 沿革★
当山は寛永三年一月十八日(1626年)に建立されました。
佐倉藩主、土井利勝は徳川四天王の一人として佐倉城主になると将軍家の一大事に備えて佐倉より行徳岸までの新道を開いたのが佐倉街道、またその名を成田街道と呼ばれた現在の国道296号線です。
それ以前は利根川印旛沼の水運を利用していたが成田街道が開通するに至り暫く陸路の交通が激しくなりそれに連れて江戸と成田の中間地、船橋や大和田の土地は途中の仮泊地として栄えていたことが、今なおその名残をとどめています。
この盛り行く街道の姿に着眼した信仰厚い、河野又衛門尉栄通公がここに一宇を建立しました。栄通公は日向の人で、その先祖は鎌倉時代かの元寇の役に登場する河野水軍の末裔です。
栄通公は、諸国見聞の途中、身延山久遠寺に詣でて日蓮聖人の霊跡参拝の案内を乞い、身延山より天受院日利上人が同道して全国各地の霊跡を巡り、安房清澄誕生寺を詣でてこの地に居を構え一堂を建立して、日利上人を迎えて開創されて、天受山長妙寺と称しました。
女人成仏の範を示されたことで有名な徳川家康の側室、御萬の方が下総の国飯高に開設された大講堂大檀林には全国より多くの人が集まりました。その人々の概ねは、江戸より成田街道を通って飯高に至る一泊二日の行程、その途中には広大な習志野の原(ウヌメガ原)の難所がありましたが、中間に位置する当山は格好の宿泊寺となり、一宿一飯の縁を結ばれた高僧碩徳は少なくありません。
ー長妙寺HPよりー
境内を作り替えているさいちゅうでした。
★長妙寺 沿革★
当山は寛永三年一月十八日(1626年)に建立されました。
佐倉藩主、土井利勝は徳川四天王の一人として佐倉城主になると将軍家の一大事に備えて佐倉より行徳岸までの新道を開いたのが佐倉街道、またその名を成田街道と呼ばれた現在の国道296号線です。
それ以前は利根川印旛沼の水運を利用していたが成田街道が開通するに至り暫く陸路の交通が激しくなりそれに連れて江戸と成田の中間地、船橋や大和田の土地は途中の仮泊地として栄えていたことが、今なおその名残をとどめています。
この盛り行く街道の姿に着眼した信仰厚い、河野又衛門尉栄通公がここに一宇を建立しました。栄通公は日向の人で、その先祖は鎌倉時代かの元寇の役に登場する河野水軍の末裔です。
栄通公は、諸国見聞の途中、身延山久遠寺に詣でて日蓮聖人の霊跡参拝の案内を乞い、身延山より天受院日利上人が同道して全国各地の霊跡を巡り、安房清澄誕生寺を詣でてこの地に居を構え一堂を建立して、日利上人を迎えて開創されて、天受山長妙寺と称しました。
女人成仏の範を示されたことで有名な徳川家康の側室、御萬の方が下総の国飯高に開設された大講堂大檀林には全国より多くの人が集まりました。その人々の概ねは、江戸より成田街道を通って飯高に至る一泊二日の行程、その途中には広大な習志野の原(ウヌメガ原)の難所がありましたが、中間に位置する当山は格好の宿泊寺となり、一宿一飯の縁を結ばれた高僧碩徳は少なくありません。
ー長妙寺HPよりー

☆御首題☆
最近、AIにハマってて御本堂を葛飾北斎の版画風にしてみました😄
最近、AIにハマってて御本堂を葛飾北斎の版画風にしてみました😄

☆山門☆
古来より山門は三解脱門といわれ涅槃の本堂にいたる悟りの境地の入り口とされます。
旧来の山門は享保8年(1724年)に八世日成上人により造立された冠木門形式の山門でしたが、昭和43年頃に老朽化と境内整備のため取り壊しました。
新本堂の落成も無事にすますことができましたので昭和63年、念願であった山門をここに再建しました。
古来より山門は三解脱門といわれ涅槃の本堂にいたる悟りの境地の入り口とされます。
旧来の山門は享保8年(1724年)に八世日成上人により造立された冠木門形式の山門でしたが、昭和43年頃に老朽化と境内整備のため取り壊しました。
新本堂の落成も無事にすますことができましたので昭和63年、念願であった山門をここに再建しました。


☆日蓮聖人御幼僧像☆

☆手水舎☆


☆御本堂☆
当山の本堂は宗祖七百遠忌並びに当山開山三百六十年を記念して、昭和61年に建立されました。
堂内には御本尊である一塔三宝両尊を勧請しています。
当山の本堂は宗祖七百遠忌並びに当山開山三百六十年を記念して、昭和61年に建立されました。
堂内には御本尊である一塔三宝両尊を勧請しています。




☆鳥居⛩️☆

☆守護神堂☆
平成4年に新築された御堂です。勧請する守護神は、国の守護神である三十番神、五穀豊穣と山門守護の稲荷大明神、学問の神様といわれる天神様をお祀りしています。
☆長妙稲荷大明神縁起☆
正式の名称は、最上位教王大菩薩といわれ岡山県にある日本三大稲荷の一つが本宮です。
当山二十九世日康上人が、昭和の初期に白狐が境内上空を何度も飛行する姿を見て、その不思議な現象を感じて当山守護の長妙稲荷大明神としてお祀りしています。
平成4年に新築された御堂です。勧請する守護神は、国の守護神である三十番神、五穀豊穣と山門守護の稲荷大明神、学問の神様といわれる天神様をお祀りしています。
☆長妙稲荷大明神縁起☆
正式の名称は、最上位教王大菩薩といわれ岡山県にある日本三大稲荷の一つが本宮です。
当山二十九世日康上人が、昭和の初期に白狐が境内上空を何度も飛行する姿を見て、その不思議な現象を感じて当山守護の長妙稲荷大明神としてお祀りしています。



☆八百屋お七の墓☆
「八百屋お七」の話は、江戸時代の昔から火つけの犯人として、鈴ヶ森の刑場で処刑され今なお一抹の憐れみを誘うものがあります。
お七は現在の八千代市に生まれ、江戸の本郷に店を開いた八百屋徳兵エに養子として迎えられました。器量のよい娘で、その名は日頃願をかけていた当山の七面様から一字をいただきました。
あるときその八百屋が火災に遭い、やむなく本郷の近くの寺、吉祥院に避難して家の再建を待ちました。そのとき、お七は寺小姓の吉三郎という好青年に恋心をいだき、八百屋が再建され店に戻ってもその恋心は募るばかりでした。
そして家が焼ければ再び寺に移れると思いこんだお七は、ついにわが家に火をつけ、それが大火となり江戸八百八町を焼失したともいわれています。
お七は天和三年(1683年)、火つけの罪で火あぶりの極刑に処されました。実母はこれを悲しみ密かにお七の遺髪を受け取り、当山に運び、戒名を妙栄信女と授与され、墓も世を忍び小さな墓石を建て密かに埋葬されました。
「八百屋お七」の話は、江戸時代の昔から火つけの犯人として、鈴ヶ森の刑場で処刑され今なお一抹の憐れみを誘うものがあります。
お七は現在の八千代市に生まれ、江戸の本郷に店を開いた八百屋徳兵エに養子として迎えられました。器量のよい娘で、その名は日頃願をかけていた当山の七面様から一字をいただきました。
あるときその八百屋が火災に遭い、やむなく本郷の近くの寺、吉祥院に避難して家の再建を待ちました。そのとき、お七は寺小姓の吉三郎という好青年に恋心をいだき、八百屋が再建され店に戻ってもその恋心は募るばかりでした。
そして家が焼ければ再び寺に移れると思いこんだお七は、ついにわが家に火をつけ、それが大火となり江戸八百八町を焼失したともいわれています。
お七は天和三年(1683年)、火つけの罪で火あぶりの極刑に処されました。実母はこれを悲しみ密かにお七の遺髪を受け取り、当山に運び、戒名を妙栄信女と授与され、墓も世を忍び小さな墓石を建て密かに埋葬されました。


☆寺務所☆

すてき
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