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楽しみ方正福寺のお参りの記録一覧

【千葉県 浦安編 ❺】
東学寺さまから正福寺様へお参りに行きました🙏🏻
安土桃山時代末期の1593年(文禄2年)、十乗院日詠によって開山されました。同県市川市の法華経寺の末寺です。その後、堂宇の損傷が激しくなったため、中興の日迨よって再建されました。しかし1880年(明治13年)の火災で全焼。1921年(大正11年)にようやく再建されました。その際に本寺の法華経寺より日蓮大菩薩尊像が贈られています。
往時は境内とは別個に寺有地として7反14歩(約70アール)の田圃があったが、農地改革で没収されてしまいました。

通年 御首題
書いていただいてるあいだ奥様がお茶を出して下さいました有難うございます。
ご住職様も気さくな方で我家の方面へ来るそうで地域の話などしながら書いてくださいました。

☆山門☆



☆香炉☆

☆御本堂☆

☆扁額☆

【御本尊】 一塔両尊四菩薩


☆寺務所☆


☆しなび地蔵尊☆
昔、「しなび」という屋号の家がありました。しなび家の者が行商のため江戸に向かう途中、焼野原の中に首のない地蔵尊を見つけました。そして瘡(皮膚病)の快癒を祈願したところ、たちまち皮膚病が治りました。しなび家ではこれに感謝して、首の部分も修復し祀りました。このご利益にあやかろうと、多くの人々が参拝に訪れたといいます。その後しなび家は池田家の養子になり、この地蔵尊は池田家に移されました。1963年(昭和38年)、池田家の邸宅を改築する際に、正福寺に移されたものです。

☆浄行堂☆
浄行堂とは、浄行菩薩像を安置しているお堂のことです。
この浄行菩薩像は、明治28年(1895)3月、正福寺第十七世住職顕妙院日心上人によってまつられたものです。
浄行菩薩は、法華経でとくところの末世(仏法が衰え、乱れた世の中)に、衆生(生命あるものすべて)を救済するという四菩薩(上行菩薩•無辺行菩薩•浄行菩薩•安立行菩薩)のうちのひとりで、「清浄な所行の者」という意味をもっています。
この像は、洗仏(病人が自分の体の悪い部分と、仏像の同じところを洗うと治るという)として霊験があると信じられています。まちの人々からは、「浄行様」の愛称で親しまれており、今でも多くの参拝者が訪れます。
現在ある浄行堂は、平成4年(1992)から同6年にかけて、本堂と参道の修復を行った際に改築したものです。





浦安市堀江にある正福寺に参拝し住職不在のため
書置きの御首題を頂きました。
入り口を入ると浄行堂があり
浄行菩薩が安置されています。
続いてしなび地蔵尊があり
これは昔「しなび」という屋号の家があり、しなび家の者が行商のため江戸に向かう途中、焼野原の中に首のない地蔵尊を見つけました。
そして瘡(皮膚病)の快癒を祈願したところ、たちまち皮膚病が治った。しなび家ではこれに感謝して、首の部分も修復し祀りました。
このご利益にあやかろうと、多くの人々が参拝に訪れたという。その後しなび家は池田家の養子になり、この地蔵尊は池田家に移された。
1963年(昭和38年)、池田家の邸宅を改築する際に、正福寺に移されました。
正福寺は1593年(文禄2年)、十乗院日詠によって開山されました。
日蓮宗の寺院です。
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御首題

入り口

浄行堂

しなび地蔵尊

無縁墓

本堂

本堂の扁額

日蓮上人像
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