けぞういん
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楽しみ方花蔵院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年05月18日(日) 23時03分31秒
参拝:2025年5月吉日
【千葉県 浦安編 ❸】
豊受神社様からお隣にある花蔵院様へ行きました😊
御朱印をいただけるようですが、人のいる気配がまったくなかったのでお参りだけさせていただきました🙏🏻
★花蔵院★
海照山花蔵院は、新義真言宗に属し、本山は和歌山県那賀群の根来寺にあります。昔は海照山花蔵院神宮寺と称し、境川沿いの銭湯『松の湯』付近にありましたが、その後、現在地に移りました。
1293年(永仁元年)の津波によって記録が流されてしまったので詳細は不明。その後、1577年(天正5年)に賢融によって中興されました。しかし1713年(正徳3年)の暴風雨と1855年(安政2年)の安政江戸地震で堂宇は破壊され、以降は仮堂となってしまいました。1914年(大正3年)にようやく再建されました。
往時は境内とは別個に寺有地として6反8畝1歩(約68アール)の田圃がありましたが、農地改革で没収されてしまいました。
花蔵院は浦安で一番古い寺院です。
境内には大日如来を本尊とする本堂、庚申堂、地蔵堂、不動堂をはじめ、浦安の発展に大きく寄与した3名の義民を供養するために建てられた浦安市有形文化財の公訴貝猟願成の塔、そして多くの石仏があり、花蔵院の歴史の長さを今に伝えています。海照山花蔵院は行徳浦安三十三所観音霊場第30番札所です。
豊受神社様からお隣にある花蔵院様へ行きました😊
御朱印をいただけるようですが、人のいる気配がまったくなかったのでお参りだけさせていただきました🙏🏻
★花蔵院★
海照山花蔵院は、新義真言宗に属し、本山は和歌山県那賀群の根来寺にあります。昔は海照山花蔵院神宮寺と称し、境川沿いの銭湯『松の湯』付近にありましたが、その後、現在地に移りました。
1293年(永仁元年)の津波によって記録が流されてしまったので詳細は不明。その後、1577年(天正5年)に賢融によって中興されました。しかし1713年(正徳3年)の暴風雨と1855年(安政2年)の安政江戸地震で堂宇は破壊され、以降は仮堂となってしまいました。1914年(大正3年)にようやく再建されました。
往時は境内とは別個に寺有地として6反8畝1歩(約68アール)の田圃がありましたが、農地改革で没収されてしまいました。
花蔵院は浦安で一番古い寺院です。
境内には大日如来を本尊とする本堂、庚申堂、地蔵堂、不動堂をはじめ、浦安の発展に大きく寄与した3名の義民を供養するために建てられた浦安市有形文化財の公訴貝猟願成の塔、そして多くの石仏があり、花蔵院の歴史の長さを今に伝えています。海照山花蔵院は行徳浦安三十三所観音霊場第30番札所です。

☆参道と御本殿☆



☆扁額☆

【御本尊】大日如来


☆大師堂☆
【御本尊】南無大師遍照金剛
【御本尊】南無大師遍照金剛


☆弘法大師座像•六地蔵•公訴貝猟願成の塔☆
痛恨のミス💦公訴貝猟願成の塔がほとんど見えない😖
【公訴貝猟願成の塔】
昭和50年8月18日(1975年)市指定有形文化財
江戸時代も後期に入った頃のことです。
堀江•猫実村(浦安)と船橋村の漁師たちは、漁場の境界をめぐって争っていました。船橋村では「三番瀬(蛎内)は船橋村の漁場」と主張したのに対し、堀江•猫実村は「堀江•猫実村と船橋村の入会漁場」と主張して互いに譲らず、天明2年(1782年)1月、評定所にまで及ぶ訴訟となりました。そこで堀江•猫実村では花蔵院(けぞういん)の宥賢和尚(ゆうけんおしょう)を中心に対策を考えましたが、よい対策もなく困っていました。
当時、猫実村に長三郎、長兵衛、善三郎という人物がいました。長三郎は一人で代官所に乗り込み交渉しようとしましたが、役人に捕らえられ、同年9月に獄死してしまいました。
友の死を知った長兵衛は、老中田沼意次に駕籠訴しましたが、その場で捕らえられてしまいました。その後村人たちの嘆願により釈放されましたが、船で帰る途中、小名木川付近(江東区)で突如容態が悪くなり非業の死を遂げました。
二人の友を失った善三郎は、日頃信仰している成田の不動様に21日間の願をかけました。天明3年3月4日、善三郎はいつもどおり参拝し大雪のなか帰り始めましたが、吹雪が激しくなり、原木付近(市川市)で気力が尽き果てその場で死んでしまいました。3人を失った堀江•猫実村の漁師たちはより一層結束を深め、天明8年(1788年)、この訴訟に勝訴したといわれています。
この石塔は漁民の幸せを願って、村の発展に殉じた3人の冥福を祈るとともに、業績を長く後世に伝えるため「天明の3義人」として、明治22年(1889年)、村人の浄財によって建立されたものです。
痛恨のミス💦公訴貝猟願成の塔がほとんど見えない😖
【公訴貝猟願成の塔】
昭和50年8月18日(1975年)市指定有形文化財
江戸時代も後期に入った頃のことです。
堀江•猫実村(浦安)と船橋村の漁師たちは、漁場の境界をめぐって争っていました。船橋村では「三番瀬(蛎内)は船橋村の漁場」と主張したのに対し、堀江•猫実村は「堀江•猫実村と船橋村の入会漁場」と主張して互いに譲らず、天明2年(1782年)1月、評定所にまで及ぶ訴訟となりました。そこで堀江•猫実村では花蔵院(けぞういん)の宥賢和尚(ゆうけんおしょう)を中心に対策を考えましたが、よい対策もなく困っていました。
当時、猫実村に長三郎、長兵衛、善三郎という人物がいました。長三郎は一人で代官所に乗り込み交渉しようとしましたが、役人に捕らえられ、同年9月に獄死してしまいました。
友の死を知った長兵衛は、老中田沼意次に駕籠訴しましたが、その場で捕らえられてしまいました。その後村人たちの嘆願により釈放されましたが、船で帰る途中、小名木川付近(江東区)で突如容態が悪くなり非業の死を遂げました。
二人の友を失った善三郎は、日頃信仰している成田の不動様に21日間の願をかけました。天明3年3月4日、善三郎はいつもどおり参拝し大雪のなか帰り始めましたが、吹雪が激しくなり、原木付近(市川市)で気力が尽き果てその場で死んでしまいました。3人を失った堀江•猫実村の漁師たちはより一層結束を深め、天明8年(1788年)、この訴訟に勝訴したといわれています。
この石塔は漁民の幸せを願って、村の発展に殉じた3人の冥福を祈るとともに、業績を長く後世に伝えるため「天明の3義人」として、明治22年(1889年)、村人の浄財によって建立されたものです。

☆庚申塔•弘法大師立像•不動明王像☆

☆地蔵堂☆
ある年の大水で境川を流れてきたお地蔵さまで、以前は「さかい橋」の猫実側のたもとにお祀りされていました。対岸の堀江地区で大火事があり、さかい橋が焼失し再建工事のためにこの場所に遷座して今日に至るということです。火事が猫実側に延焼しなかったのは、このお地蔵さまが守ってくださったからだと信じられているそうです😊
ある年の大水で境川を流れてきたお地蔵さまで、以前は「さかい橋」の猫実側のたもとにお祀りされていました。対岸の堀江地区で大火事があり、さかい橋が焼失し再建工事のためにこの場所に遷座して今日に至るということです。火事が猫実側に延焼しなかったのは、このお地蔵さまが守ってくださったからだと信じられているそうです😊


☆清心大菩薩堂☆
花蔵院の一角にあるお堂
花蔵院の一角にあるお堂


☆扁額☆


☆清心大菩薩堂石碑群☆
左から「清心堂新築記念碑」、「清心大菩薩碑」、「御瀧山清心菩薩碑」、「不動明王像」、「御瀧山明光心行者碑」
左から「清心堂新築記念碑」、「清心大菩薩碑」、「御瀧山清心菩薩碑」、「不動明王像」、「御瀧山明光心行者碑」
すてき
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