ならのだいぶつ
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奈良の大仏ではいただけません
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奈良の大仏のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年03月10日(日)
参拝:2019年1月吉日
紛うことなき奈良の大仏です。
誰がなんと言おうと奈良の大仏です。
平将門ゆかりの地。
ここの地名は「奈良」で、付近には「古都辺」という地名もあります。
ここの地名は「奈良」で、付近には「古都辺」という地名もあります。
参道。
仏像の説明はなく、豊かな自然の説明に終始しています。
仏像の向かって左側の巨木。
仏像の向かって右脇の巨木。
大仏さん。といっても2mくらいの素朴な石仏です。
Wikipediaに抜粋された『房総志料』によると...
一、市原郡の人語りしは、奈良村といふ所の山中人跡まれなる処に、銅像の高丈餘の蘆舎那の露佛、儼然として叢間に安置す。榛荊を發き拝するに、基砌半は土に陷り、銅上盡青衣を生ず。凡幾星霜を経たりといふ事しらずと。按に、承平中、平将門東百官などいふ事置きし日、南都の銅佛に摹倣せしにや。しかれども、自立の日久しからざれば、精舎を建るに暇なしと見へたり。事實の傳はらざるは、後人其僣竊を惡み、且、國禁をはゞかれるにや。いぶかし。
一、市原郡の人語りしは、奈良村といふ所の山中人跡まれなる処に、銅像の高丈餘の蘆舎那の露佛、儼然として叢間に安置す。榛荊を發き拝するに、基砌半は土に陷り、銅上盡青衣を生ず。凡幾星霜を経たりといふ事しらずと。按に、承平中、平将門東百官などいふ事置きし日、南都の銅佛に摹倣せしにや。しかれども、自立の日久しからざれば、精舎を建るに暇なしと見へたり。事實の傳はらざるは、後人其僣竊を惡み、且、國禁をはゞかれるにや。いぶかし。
かつては銅製だったそうですが、なんやかんやあって石仏になりました。
東日本大震災で倒れて首がもげましたが、地元の方の協力で変わらぬ姿で鎮座しています。
東日本大震災で倒れて首がもげましたが、地元の方の協力で変わらぬ姿で鎮座しています。
付近で農作業のない日は風のざわめきのみが聞こえる静謐な場所です。
名前負け感のせいでB級ネタスポット的な扱いを受けることもありますが、森に囲まれて大仏さんに向き合い目を閉じ手を合わせれば心が洗われるような気がします。
お気に入りの場所です。
名前負け感のせいでB級ネタスポット的な扱いを受けることもありますが、森に囲まれて大仏さんに向き合い目を閉じ手を合わせれば心が洗われるような気がします。
お気に入りの場所です。
馬頭観音。
競馬連...組織名でしょうか。
すてき
みんなのコメント(2件)
潮来の与太郎
千葉には、[勝浦]とか[白浜]など紀伊半島の地名が多いですよね。黒潮の影響が有るんでしょうか?前から気になっています。
是非その辺の謎も解き明かしてくれるとうれしいです。
2019年03月10日(日)
引用した資料の「南都の銅佛に摹倣せしにや。」からは、奈良の都にあこがれていたことを読み取れます。
https://www.city.ichihara.chiba.jp/shisetsu/tosyokan_kouminkan/shisetu_shizu/shidunojinnjya.files/23-kotube.pdf
また、明日投稿予定の古都辺神社もまた都を意識して名付けたと言われています。
そうしたあこがれが地名に現れているのではないでしょうか...うっすい論拠ですね。
いずれにしても、忌部氏など紀伊半島との関わりで生まれた地名とは異なる文脈だったと思います。
2019年03月10日(日)
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