御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方編集詳細
2024年09月25日(水) 21時47分 by高砂あさっぴー
編集後
義康公の弟である玉峯和尚が天正9年(1581)に創建したと伝えられ、城内に祀られていた里見氏重代の持仏である千手千眼観世音菩薩および聖観世音菩薩(ともに運慶作)の両菩薩像を本尊として移し、里見城内の持仏堂としたのがはじまりであると伝えられています。 この持仏堂は天正18年(1590)義康公の館山築城竣工に当たり、館山城南面の姥塚(うばづか)の地(現在、10代忠義公および八剣士の供養墓のある所)に移され、天正19年7月、寺領として4貫800文を寄付されました。 慶長8年(1603)11月16日、義康公が31才で逝去されるや、現在地を義康公の墓所として城内の持仏堂を移築し寺院を建立、名を「籐谷山・慈恩院」として「義康公菩提寺」と定め、義康公を当山開基とされました。 秘仏として義康公が常に所持していた「捻持仏」が伝えられています。 又、里見氏研究の基礎となる「里見氏系図」、義康公自筆の寺領書など多数の古文書も伝えられています。 10代忠義公の慶長15年(1610)の里見家分限帳には「北郡(平群郡の別称)正木村12石持仏堂慈恩院分、山下郡(安房郡の別称)沼村3石持仏堂」とあり、合わせて15石の寺領が与えられていたことが知られ、寛永13年(1636)11月9日、徳川3代将軍家光公からも寺領15石の御朱印状を下付しています。また、歴代将軍からも同じ朱印状が下付されていました。
編集後
true
編集後
藤谷山
編集後
里見義康・玉峯
編集後
慈恩院のオハツキラッパイチョウ(館山市天然記念物)