天台宗
神宮寺のお参りの記録一覧
猿賀神社参道に面している。
800年頃桓武天皇の勅命で創建されたと言われているとか。慶長年間には、津軽祈願所として知られたそう。本堂は安政3年再建。
【陸奥國 古刹巡り】
神宮寺(じんぐうじ)は、青森県平川市猿賀石林にある天台宗の寺院。山号は猿賀山、院号は長寿院。
創建は不詳だが、古くからの猿賀神社の別当寺で、猿賀神社と同様の由緒を持つ。伝承によると、延暦年間(781年~805年)坂上田村麻呂が東夷東征の際、上毛野君田道命に戦勝祈願したところ見事念願成就し、感謝の意と桓武天皇の勅命により堂宇を造営し、深沙大権現を安置したのが始まり。猿賀神社と神仏習合し別当であった神宮寺は国家鎮護の祈願寺、天台密教の拠点として寺運も隆盛し、藤原秀衡や北畠顕家などの歴代領主の庇護を受けた。安土桃山時代の1586年に領主・津軽為信が復興し祈願所としたが南部家との対立により猿賀神社十二坊は破却され、神宮寺の僧侶は追放され、天台宗から曹洞宗に改宗させられ、別当も弘前の最勝院が務めることとなった。ただ江戸時代に入ると、弘前藩2代藩主・津軽信枚が幕府重鎮の天海大僧正に師事したため、再び天台宗に改宗するとともに、弘前城の青龍の守護神として猿賀神社を位置付け、当寺を別当に復権し寺領100石を安堵した。明治時代に入ると、神仏分離令により猿賀神社となり、支院の中で東光院と蓮乗院だけが寺院として残されたが、東光院が神宮寺の名跡を継ぎ現在に至っている。
当寺は、弘南鉄道弘南線・津軽尾上駅の西方1kmほどの住宅街の中、平地にある。猿賀神社の一の鳥居から北上する参道の左側(西側)にある。境内はこぢんまりとしているが、真っ赤で目立つ仁王門と、そこに掛かる大きな「わらじ」が印象に残る。
今回は、猿賀神社の関連のある寺院として参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、自分以外に参拝者は特にいなかった。
猿賀神社参道の左側(西側)にある<仁王門>。
仁王門の表側には、「不動尊」の扁額と大きな<わらじ>が掛かっている。
仁王門をくぐったところからの眺め。建物はすべて朱色で統一されている。
参道の左手の様子。手入れが行き届いた庭園になっている。
参道の右手の様子。小さな祠は「地蔵堂」。
参道の正面にある<本堂>。扁額には「猿賀神宮寺」とある。
本堂の右手にある<庫裏>の入口。
最後に、猿賀神社の参道から境内全景。(^▽^)/
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