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さるかじんじゃ

猿賀神社のお参りの記録(1回目)
青森県津軽尾上駅

投稿日:2025年12月03日(水) 17時31分06秒
参拝:2025年10月吉日
青森県 平川市 猿賀字 石林 に鎮座する、猿賀神社、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2025に 津軽龍神霊場、津軽八十八ヶ所霊場 巡礼の際 何度か参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、主祭神は、上毛野君田道命、社格等は、旧県社・別表神社、創建は、伝延暦12年(793年)本殿の様式は、三間社流造、
別名として、深沙大権現、猿賀山長命院、例祭は、旧暦8月15日(十五夜大祭)主な神事は、七日堂大祭(旧暦1月7日)
『日本書紀』によれば、367年(仁徳55年)の蝦夷討伐で、猿田神社 祭神の 田道 は 伊峙水門で敗死したとある。また天皇の従者が 田道 の遺品をその妻に与えたところ、妻は遺品を抱きながら首を吊ってしまった。人々はこれを聞き涙したことであった、という、伊峙水門には 上総国 夷灊(いしみ)郡(旧 千葉県 夷隅郡)説と 陸奥国 牡鹿郡 石巻(いしのまき)(現 宮城県 石巻市)説とがあるが、社伝によれば、敗死した田道命は従者によって当地に埋葬され、後に蝦夷がその墓を暴いたところ、田道命 の遺体が大蛇と化して毒気を吐いたので、人々が恐れて現在地 西方の 猿賀野に祀ったのに始まると伝える。200年後の欽明天皇28年(567年)に当地で洪水があり、田道命の神霊が白馬にまたがり流木を舟にして流れに乗り、現在地に遷座し、桓武天皇の時代に蝦夷征討に苦戦していた坂上田村麻呂が田道命の霊に導かれて大勝したので、延暦12年(793年)、田村麻呂が現在地に祠を造り、大同2年(807年)には勅命により社殿が造営されたと伝える。
後に、仏教の守護神である深砂大王(じんしゃだいおう)と習合し、深砂大権現(神蛇宮)と呼ばれるようになった。武神として信仰され、藤原秀衡、北畠顕家ら附近にかかわった武将たちの崇敬を集めた。江戸時代には津軽藩の祈願所となり、猿賀山長命院と号する修験道場となった。明治の神仏分離により、明治4年(1871年)に神社となり、地名より「猿賀神社」に改称し(現在もかつては境内地であった社前に旧別当寺である猿賀山長命院神宮寺(天台宗)および猿賀山蓮乗院[4]が残る)、同6年郷社に列し、更に同16年(1883年)には県社に昇格した。戦後は神社本庁に参加し、昭和34年(1959年)にその別表神社とされている
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社(青森県)
猿賀神社内、胸肩神社、夏になると池の蓮子が美しい
猿賀神社(青森県)
猿賀神社内、胸肩神社

すてき

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