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長勝寺ではいただけません
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長勝寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月21日(金)
参拝:2022年9月吉日
【陸奥國 古刹巡り】
長勝寺(ちょうしょうじ)は、青森県弘前市西茂森にある曹洞宗の寺院。山号は太平山。本尊は釈迦如来。三門、御影堂、本堂・庫裡、津軽家霊屋、銅鐘は国指定の重要文化財、長勝寺溝は国の史跡。
寺伝によると、創建は室町時代の1528年、大浦盛信が父・光信の菩提を弔うために菊仙梵寿を招いて開山したのが始まり。寺号は光信の法名に因む。大浦為信(津軽為信)が大浦城主となって大浦に移し、1611年には弘前城築城に際し、城の南西の裏鬼門に移された。以後、弘前藩主である津軽家禄の寺院として重視されるとともに、当寺を中心に構成された禅林街(曹洞宗33ヶ寺で構成される寺町)全体が弘前城の出城的機能を有していたと言われる。弘前藩主津軽家の菩提寺であるだけでなく祈願寺でもあり、江戸時代には寺運も隆盛した。
当寺は、JR奥羽本線・弘前駅の西方3kmの、弘前藩の禅林街(寺院が集まっている地域)の西の突き当りにある。さすが弘前藩主・津軽家の菩提寺だけあって、境内は広く、伽藍も大きい。特に本堂の奥(境内西側)にある津軽家霊屋はかなり広々としているが、一般には参拝することができない。ただ、参拝可能エリアだけでも国重文の建物等が三門、御影堂、本堂・庫裡、銅鐘とあるので、見応え十分。
今回は、三門、御影堂、本堂・庫裡、津軽家霊屋、銅鐘が国重文であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、自分以外にも数組の参拝者が訪れていた。
境内東端入口全景。夕方で、西に沈もうとする太陽から神々しい光が差している。
参道左側の<水屋>。
参道右側にも<水屋>。左右対称位置のダブル水屋は珍しいかも。
参道正面にある<三門>。江戸時代初期の1629年、弘前藩2代藩主・津軽信牧による建立。上下とも桁行9.7m、梁間5.8m、棟髙16.2m。国指定の重要文化財。
山門をくぐって右側にある<鐘楼>。
鐘楼に掛かる<嘉元鐘(銅鐘)>。鎌倉時代後期の嘉元四年(1306年)の銘がある。寄進者の筆頭に鎌倉幕府執権・北条貞時の法名がある。国指定の重要文化財。
鐘楼の左手にある<庫裏>。室町時代の1502年に建立された大浦城台所を移築したものと伝わる。桁行18.1m、梁間13.9m。切妻造、茅葺。国指定の重要文化財。
<庫裏>入口。当寺の場合、本堂での本尊参拝は、外部には扉や拝所はなく、庫裏から入って内部を進んで本堂内部にて参拝する珍しい形式となっている。
庫裏入口上部には「庫院」と書かれた扁額が掛かっている。
庫裏内部の様子。このあと、本堂の本尊を参拝。(o^―^o)
少し離れて<庫裏>全景。中世らしい素朴で美しい建物。
山門をくぐって正面にある<本堂>。江戸時代初期1610年の造営と伝わる。桁行22.7m、梁間16.3m、入母屋造。国指定の重要文化財(登録は「本堂・庫裡 二棟」)。
本堂の左手の眺め。塀で仕切られていて、奥に進むことはできない。
奥の建物は<津軽家霊屋 碧巖臺>。国指定の重要文化財。
木が茂っていてはっきりとは見えないが、左奥にあるのが<津軽家霊屋 凌雲臺>、右手前にあるのが<津軽家霊屋 白雲臺>。ともに国指定の重要文化財。
斜めから<本堂>全景。弘前藩主・津軽氏菩提寺の本堂として堂々たる建物。
なお、本堂の裏手に「御影堂」と「津軽家霊屋 環月臺」という2つの建物が建っていて、ともに国指定の重要文化財。
なお、本堂の裏手に「御影堂」と「津軽家霊屋 環月臺」という2つの建物が建っていて、ともに国指定の重要文化財。
上写真と同じ撮影位置から<庫裏>全景。
山門をくぐって、左前方にある<蒼龍窟(元禅堂)>。
入口上部の扁額には「蒼龍窟」と書かれている。
最後に、境内を出たところからの眺め。一帯は「禅林街」と呼ばれ、真っ直ぐの長い道の両側にたくさんの寺院が集まっている。当寺はその中心寺院にあたる。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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