ひろさきやさかじんじゃ
弘前八坂神社のお参りの記録一覧
弘前寺社めぐり2社目(特にツアーとかではなく、個人的に)
胸肩神社のあと、レンガ倉庫美術館の前をとおり、こちらへ。
こちらも紅葉がきれいでした。
御朱印はこのあと伺った熊野奥照神社でいただきました。
最勝院参拝後に隣りにある弘前八坂神社を参拝しました。
御朱印は、熊野奥照神社で対応して頂きました。
弘前八坂神社・一の鳥居
弘前八坂神社・二の鳥居
二の鳥居の扁額
弘前八坂神社の由緒
拝殿前の狛犬
(勇ましい面持ち)
弘前八坂神社の拝殿
拝殿の扁額
弘前八坂神社の本殿
弘前八坂神社の御朱印
(熊野奥照神社で対応)
青森県弘前市に鎮座する弘前八坂神社、2022.1に最勝院と八坂神社を参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べてみました、創建は不詳ですが正保4年(1647)、神仏習合していた大円寺と共に弘前城の戦略的、霊的拠点として共に現在地に移されました(詳細は判りませんが、慶安3年:1650年に新寺町が新たに町割りされている事から、この前後に遷座したと思われます)大円寺は文亀年間(1501~1504年)に大円坊によって開かれたのが始まりとされ、八坂神社はその鎮守社として勧請されたと思われます。境内地は寺沢川と土淵川の合流地点で弘前城から見て南側の防衛拠点になりうる場所だった事から、大円寺には3代藩主信義の守り本尊である大日如来が安置され、水を司る牛頭天王が祀られました。以来、歴代弘前藩主津軽家から祈願所として庇護され社運(寺運)も隆盛しましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により大円寺と分離し、明治4年(1871)には社号も牛頭天王から八坂神社に改められました。大円寺は大鰐町の高伯寺境内に移転させられ、その跡地には最勝院が移ってきています。
神仏習合時代は大円寺と八坂神社の境内は一体でしたが、最勝院が移ってきた為、境内が分断され、現在に見られるように一之鳥居と二之鳥居の位置関係が直角となっています。
又、八坂神社の本地仏で仏教色が強かった牛頭天王像は、旧大円寺の本堂を引き継いだ最勝院の護摩堂の本尊として移され、八坂神社には改めて須佐之男命(神仏分離により牛頭天王から須佐之男命に改めた神社は数多くあります。)の分霊が勧請されました
隣には美塔で知られる、最勝寺五重塔
【陸奥國 古社巡り】
弘前八坂神社(ひろさき・やさか~)は、青森県弘前市銅屋町にある神社。祭神は須佐之男命、奇稲田姫命、草野姫命、菅原道真公。
創建は不詳。当社はもともと「大円寺別院」、「牛頭天王」と称し、津軽藩第代藩主が悪疫封滅の祈願所として崇敬してきた。明治に入り「八坂神社」と改称した。1872年に社殿を造営したが、昭和戦後の1946年に焼失、1949年に再建され現在に至っている。
当社は、JR奥羽本線・弘前駅の西方1.5kmの小高い場所にある最勝院の北側にある。北側の公道沿いにある最勝院の入口を入って、参道を数十m南下すると最勝院の仁王門よりも先に当社の鳥居が現れる。最勝院の敷地を切り取ったような境内はこぢんまりしていて、参道は途中で直角に折れ曲がり、そこに無理やり大きな二の鳥居を立てている。社殿はさほど大きくはない。
今回は、最勝院の隣にあることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外にも夫婦連れの参拝者を見掛けた。
境内北側の最勝院の入口を入り、参道を進むと右手に当社が見えてくる。
最勝院の山門と当社の<一の鳥居>はこんな位置関係。
階段を上がって<一の鳥居>をくぐる。
参道は直角に右に折れ曲がり、<二の鳥居>が立っている。
二の鳥居に掛かる扁額。
<拝殿>遠景。
<拝殿>全景。こぢんまりしたサイズ感。
<拝殿>正面。
拝殿後ろの<本殿>。
社殿右側の古木。けっこうな樹齢だと思われるが、さくらかな?
一列に並んだ石碑類。
当社の二の鳥居の後ろには、最勝院の五重塔(国重文)。(^▽^)/
弘前八坂神社の創建は不詳ですが正保4年(1647)、神仏習合していた大円寺と共に弘前城の戦略的、霊的拠点として共に現在地に移されました。
大円寺は文亀年間(1501~1504年)に大円坊によって開かれたのが始まりとされ、八坂神社はその鎮守社として勧請されたと思われます。境内地は寺沢川と土淵川の合流地点で弘前城から見て南側の防衛拠点になりうる場所だった事から、大円寺には3代藩主信義の守り本尊である大日如来が安置され、水を司る牛頭天王が祀られました。
以来、歴代弘前藩主津軽家から祈願所として庇護され社運も隆盛しましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により大円寺と分離し、明治4年(1871)には社号も牛頭天王から八坂神社に改められました。
大円寺は大鰐町の高伯寺境内に移転させられ、その跡地には最勝院が移ってきています。
神仏習合時代は大円寺と八坂神社の境内は一体でしたが、最勝院が移ってきた為、境内が分断され、現在に見られるように一之鳥居と二之鳥居の位置関係が直角となっています。
又、八坂神社の本地仏で仏教色が強かった牛頭天王像は、旧大円寺の本堂を引き継いだ最勝院の護摩堂の本尊として移され、八坂神社には改めて須佐之男命の分霊が勧請されました。
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