てんりゅうざん せいかいじ
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天龍山 誓海寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年02月27日(火)
参拝:2024年2月吉日
知多四国八十八ヶ所巡りの20寺目は、19寺目の知多郡南知多町から知多郡美浜町に戻り、古布に在る大龍山 誓海寺です。
こちらには第27番札所の誓海寺と開山所の禅林堂の2つの札所があります。
19寺目の大宝寺から東北へ約4.5km。
曹洞宗で、本尊は釈迦牟尼仏。(禅林堂の本尊は子安観音)
今回の八十八ヶ所巡りの最後となります。
1555年に開創と伝わります。終戦の前年の1944年(昭和19年)に海軍航空隊施設建設のために、強制的に村ごと現在地に移転する事になりました。
また、知多四国霊場の開創の1人である岡戸半蔵は1824年にこの誓海寺で73歳で亡くなった。功労者である岡戸半蔵を祀り、開山所とした。
鐘楼門の横に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。鐘楼門をくぐり先に行くと手水、この先で二股となり、左は開山所(禅林堂)、右は弘法堂(本堂)です。先ずは本堂から。本堂に上がらせて頂き、須弥壇に本尊・釈迦牟尼仏が、左側の間には南知多三十三観音が祀られていました。(堂内はやや暗し)
本堂を出て、本堂左側の第27番札所の弘法堂へ。堂内の下陣に入らせて頂き、弘法大師が祀られ、脇壇に愛染明王ですが閉扉の厨子の中で観れません。厨子の左に地蔵菩薩?右に聖徳太子でした。弘法堂の左側には大乗妙典六十六部供養塔と岡戸半蔵行者像でしょうか。その左側には開山所の禅林堂です。(写真撮影を何故か洩らしてしまいました。)禅林堂の堂内は、真ん中に子安観音ですがこちらも閉扉の厨子の中で観れません。厨子の左に弘法大師、右に岡田半蔵行者が祀られていました。
最後に納経所で2つの御朱印を頂きました。
今回20ヶ寺巡り、南知多ICから南知多道路に乗り帰路に着きました。
こちらには第27番札所の誓海寺と開山所の禅林堂の2つの札所があります。
19寺目の大宝寺から東北へ約4.5km。
曹洞宗で、本尊は釈迦牟尼仏。(禅林堂の本尊は子安観音)
今回の八十八ヶ所巡りの最後となります。
1555年に開創と伝わります。終戦の前年の1944年(昭和19年)に海軍航空隊施設建設のために、強制的に村ごと現在地に移転する事になりました。
また、知多四国霊場の開創の1人である岡戸半蔵は1824年にこの誓海寺で73歳で亡くなった。功労者である岡戸半蔵を祀り、開山所とした。
鐘楼門の横に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。鐘楼門をくぐり先に行くと手水、この先で二股となり、左は開山所(禅林堂)、右は弘法堂(本堂)です。先ずは本堂から。本堂に上がらせて頂き、須弥壇に本尊・釈迦牟尼仏が、左側の間には南知多三十三観音が祀られていました。(堂内はやや暗し)
本堂を出て、本堂左側の第27番札所の弘法堂へ。堂内の下陣に入らせて頂き、弘法大師が祀られ、脇壇に愛染明王ですが閉扉の厨子の中で観れません。厨子の左に地蔵菩薩?右に聖徳太子でした。弘法堂の左側には大乗妙典六十六部供養塔と岡戸半蔵行者像でしょうか。その左側には開山所の禅林堂です。(写真撮影を何故か洩らしてしまいました。)禅林堂の堂内は、真ん中に子安観音ですがこちらも閉扉の厨子の中で観れません。厨子の左に弘法大師、右に岡田半蔵行者が祀られていました。
最後に納経所で2つの御朱印を頂きました。
今回20ヶ寺巡り、南知多ICから南知多道路に乗り帰路に着きました。
第27番 誓海寺の御朱印
開山所 禅林堂の御朱印
鐘楼門
手水
本堂
本尊・釈迦牟尼仏
南知多三十三観音
弘法堂
弘法大師
愛染明王(厨子の中) 左:地蔵菩薩? 右:聖徳太子
大乗妙典六十六部供養塔
禅林堂(何故か撮り洩らしてしまったためネットから転載)
禅林堂内
子安観音(厨子の中)、左:弘法大師 右:岡田半蔵行者
子安観音(厨子の中)、左:弘法大師 右:岡田半蔵行者
納経所
すてき
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nomuten996投稿
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