さいほうじ
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西方寺ではいただけません
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西方寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月02日(土)
参拝:2024年2月吉日
知多四国八十八ヶ所巡りの12寺目は、11寺目と同じく知多郡南知多町の山海(やまみ)に在る第41番札所の松原山 西方寺です。
(紛らわしいのですが、知多郡南知多町には西方寺が2ヶ寺あり、もう1ヶ寺は篠島にある番外札所です。)
11寺目の影向寺から北西へ約2.5km。
西山浄土宗で、本尊は阿弥陀如来。
永正年間(1504~21年)に天台宗の寺院として創建と伝わりますが、江戸中期の火災により古文書類が焼失してしまい、縁起等は不明。1803年に金比羅堂が復興されたが、1959年の伊勢湾台風により倒壊してしまい、未再建との事です。
海岸線沿いに国道が走り、その国道に面している寺院は珍しい。もろに塩害を受けますから大変でしょうね。目の前は山海海水浴場ですから、夏は海水浴客で賑わいますね。
国道247号線沿いの山門左側に駐車場があります。(1本中の角地にもあります。)
山門をくぐると直ぐ左側に手水。正面に本堂、左側に弘法堂、右側に庫裏・納経所という一般的なレイアウトです。
先ずは本堂に上がらせて頂きました。本堂中央には本尊・阿弥陀如来と両脇侍、右側の間には阿弥陀如来と善光寺式阿弥陀三尊、左側の間にはこちらの寺院が南知多三十三観音霊場第23番札所のため南知多三十三観音かと思いきや、台座の寺院名を確認すると西国三十三観音でした(一番下の左端は谷汲寺、右端は成相寺)。また、札所本尊は千手観音ですが見当たりませんでした。中尊は子を抱いており子安観音?
次に弘法堂、戸口からの参拝です。中央に弘法大師、右側には閉扉された厨子で中に薬師如来が安置されていると思います。厨子の両脇に十二神将。左側には地蔵菩薩。弘法大師と地蔵菩薩の間に金比羅大権現です。金比羅堂は倒壊しましたが、祠(厨子)はこちらへ遷したと思われます。天狗の様な羽根の扇子と筆を持っている様ですが暗くてよくわかりませんでした。
最後に本堂右側の庫裏にある納経所にて御朱印を頂きました。
(紛らわしいのですが、知多郡南知多町には西方寺が2ヶ寺あり、もう1ヶ寺は篠島にある番外札所です。)
11寺目の影向寺から北西へ約2.5km。
西山浄土宗で、本尊は阿弥陀如来。
永正年間(1504~21年)に天台宗の寺院として創建と伝わりますが、江戸中期の火災により古文書類が焼失してしまい、縁起等は不明。1803年に金比羅堂が復興されたが、1959年の伊勢湾台風により倒壊してしまい、未再建との事です。
海岸線沿いに国道が走り、その国道に面している寺院は珍しい。もろに塩害を受けますから大変でしょうね。目の前は山海海水浴場ですから、夏は海水浴客で賑わいますね。
国道247号線沿いの山門左側に駐車場があります。(1本中の角地にもあります。)
山門をくぐると直ぐ左側に手水。正面に本堂、左側に弘法堂、右側に庫裏・納経所という一般的なレイアウトです。
先ずは本堂に上がらせて頂きました。本堂中央には本尊・阿弥陀如来と両脇侍、右側の間には阿弥陀如来と善光寺式阿弥陀三尊、左側の間にはこちらの寺院が南知多三十三観音霊場第23番札所のため南知多三十三観音かと思いきや、台座の寺院名を確認すると西国三十三観音でした(一番下の左端は谷汲寺、右端は成相寺)。また、札所本尊は千手観音ですが見当たりませんでした。中尊は子を抱いており子安観音?
次に弘法堂、戸口からの参拝です。中央に弘法大師、右側には閉扉された厨子で中に薬師如来が安置されていると思います。厨子の両脇に十二神将。左側には地蔵菩薩。弘法大師と地蔵菩薩の間に金比羅大権現です。金比羅堂は倒壊しましたが、祠(厨子)はこちらへ遷したと思われます。天狗の様な羽根の扇子と筆を持っている様ですが暗くてよくわかりませんでした。
最後に本堂右側の庫裏にある納経所にて御朱印を頂きました。
御朱印
山門
本堂
本尊・阿弥陀如来と両脇侍
右側の間は阿弥陀如来と善光寺式阿弥陀三尊
左側の間は南知多三十三観音かと思いきや西国三十三観音(台座の寺院名で確認)
手水
弘法堂
左から地蔵菩薩、金比羅大権現、弘法大師、薬師如来(厨子の中)
庫裏・納経所
山海海水浴場
すてき
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nomuten970投稿
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