おおみどうじ(のまだいぼう)|真言宗豊山派|鶴林山(かくりんざん)
大御堂寺(野間大坊)へのアクセス・駐車場
近くの駅 | ◼︎名鉄知多新線 ◼︎名鉄知多新線 ◼︎名鉄知多新線 Googleマップ等で出発地からのアクセスをご確認ください。 情報提供: HeartRails Express |
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参拝時間 | 納経所/7:00~17:00 |
電話番号 | 0569-87-0050 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://nomadaibou.jp |
Wikipediaからの引用
アクセス | 交通アクセス[編集] 名鉄知多新線 野間駅から徒歩で約8分。 |
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引用元情報 | 「野間大坊」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%87%8E%E9%96%93%E5%A4%A7%E5%9D%8A&oldid=103176689 |
駐車場に関する投稿
東海三十六不動尊霊場 第22番の次は第21番の鶴林山 大御堂寺です。中部国際空港・セントレアのある常滑市の南の知多郡美浜町に在る真言宗豊山派の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。
伝えによると創建は680年前後、行基が中興、1080年前後に白河天皇の勅願寺になり、大御堂寺と称するようになったとの事です。
平治の乱に敗れた源義朝(源頼朝の父)の臨終の地であり(1159年)、境内に墓があることで有名です。
大門の先には本堂があり、中尊の阿弥陀如来に脇侍の観音菩薩と勢至菩薩、藤原時代後期作の阿弥陀三尊です。本堂の右手奥に源義朝のお墓があります。
本堂を左(西)へ行くと悠紀殿があり、建物は京都御所から移築したものです。本尊は今は無い五重塔内に祀られていた平安時代後期作の大日如来です。その左(西)には客殿があり、本尊は源頼朝の持念仏の地蔵菩薩であり秘仏、本尊右側に毘沙門天、左側に不動明王が祀られています。
更に快慶作とみられる阿弥陀如来像が安置されており、有料拝観できるのですが、丁度祈祷が始まるタイミングだったため拝観は駄目でした。次回に期待します。(快慶作の仏像に興味大のため残念!)
客殿で納経帳に朱印を押印して戴きました。併せて、尾張三十三観音霊場 第8番の朱印も押印して戴きました。
尚、寺の東側、境内、西側に広大な駐車場があります。
東海三十六不動尊霊場の御朱印
尾張三十三観音霊場の御朱印
大門
鐘楼堂
手水
本堂
源義朝の墓
悠紀殿
客殿入口
客殿
知多四国八十八ヶ所巡りの13寺目は、12寺目と同じく知多郡美浜町の野間に在る第50番札所の大御堂寺と第51番札所の野間大坊です。
正式には鶴林山 大御堂寺で、通称は野間大坊。札所としては、本堂のある方を大御堂寺、客殿のある方を野間大坊としていると思います。
12寺目の安養院から北へ約200m。
真言宗豊山派で、本尊は阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来坐像は県指定文化財で、脇侍の観音菩薩立像と勢至菩薩立像は町指定文化財です。また、客殿に安置の阿弥陀如来立像も県指定文化財です。
2021年に東海三十六不動尊霊場、尾張三十三観音霊場巡りで訪れましたので3年振りです。(投稿済みですので宜しかったら見てやって下さい。)
伝えによれば、天武天皇(673~86年)の時代に「阿弥陀寺」として建立、聖武天皇(723~49年)の時代に行基が中興、承曆年間(1077~81年)に白河天皇の勅願寺として「大御堂寺」と称した。1190年に源頼朝が父・源義朝の菩提を弔うため地蔵菩薩を奉安し、七堂伽藍を造営。豊臣秀吉、徳川家康の庇護を受け発展したとの事です。
伽藍と客殿の間の駐車場に停めさせて頂きました。(客殿の西側にも駐車場あり)
一旦境内から出て大門から入ります。大門をくぐると右側に弁天池があり弁財天、左側に手水と流灌頂(ながれかんじょう)、正面に本堂です。外陣から格子戸越しに内陣を見ると阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像を中尊に、脇侍の観音菩薩立像と勢至菩薩立像)、平安後期作の定朝様、漆箔はやり直しているのでしょうね、ピカピカ感があります。右側には第50番札の弘法大師です。(こちら側には納経所はありませんので、客殿で併せて御朱印を頂く事になります。)
本堂の右側奥に源義朝の御廟。「我に木太刀の一本でもあればむざむざ討たれはせん。」と言って無念の死をとげたために木太刀が多数奉納されています。その周りには、安養院で自刃した織田信孝の墓、平家に捕えられた源頼朝の助命を嘆願した池禅尼の供養塔、源義朝と共に暗殺された鎌田政家とその妻の墓があります。弁天池の外周に沿って行くとデカいマニ車があるマニ車堂、陰陽石が置かれている愛染明王と弁財天、長田忠致親子により暗殺されて源義朝の首を洗った池と云われる血の池があります。ぐるっと回って来て客殿の方へ向かうと鐘楼と出世稲荷。
客殿への参道に沿って四国八十八ヶ所お砂踏、手前の台に可愛らしいお地蔵さん。
右側に昭和天皇即位の礼の時に京都御所内に建てられた建物の一部を昭和4年に移築した悠紀殿で、五重塔に祀られていたという大日如来坐像が安置されていますが、扉が閉まっていて内部は確認できませんでした。先に客殿の入口、客殿は伏見桃山城の一部を寛永年間(1624~43年)に移築したもので県指定文化財。前庭には四国八十八ヶ所お砂踏。こちらが第51番札所で納経所がありますので、第50番と第51番の御朱印を頂きました。
前回観れなかった快慶作阿弥陀如来を拝観(有料拝観500円)させて頂く事にしました。私1人です。堂内に上がらせて頂き、先ず絵解きから、終わってから仏像拝観。客殿の本尊は秘仏・地蔵菩薩、厨子に入っていますのでお前立、厨子の両脇に不動明王と毘沙門天のはずですが、毘沙門天はご不在。その左脇壇にお目当ての阿弥陀如来立像で、高さ約78cm、安阿弥様、鎌倉時代作、親鸞が法然の入滅に際し、供養のために快慶に造らせたと伝わる客仏。2011年に富山大学の先生が快慶作と判断されましたが、素人の私が観た感想としては「慶派仏師の作には間違いないけれど、快慶作なのかなあ?何か違う(オーラが無い)。」でした。それでも一見の価値ありです。左の間には聖観音坐像、弘法大師像が祀られていました。
寺を後にして、西へ2km位行った海岸沿いにあるぐっさん(山口智充)が東海テレビの「ぐっさん家」で建てた「ザ・グッドサン・ビーチハウス」に寄りました。収録がなければ無人で建物のみです。
第50番 大御堂寺の御朱印
第51番 野間大坊の御朱印
大門
弁財天
手水
流灌頂(ながれかんじょう)
阿弥陀如来の梵字(キリーク)の上から水を流す
本堂
阿弥陀三尊
弘法大師
源義朝の墓
織田信孝の墓(安養院で自刃)
池禅尼の供養塔
鎌田政家(源義朝と共に暗殺)と妻の墓
マニ車堂
愛染明王、弁財天
(陰陽石との関係はわかりません)
血の池(源義朝の首を洗った池と云われる)
鐘楼
五重塔跡地
出世稲荷
四国八十八ヶ所お砂踏(1~50番札所は客殿の前)
悠紀殿
客殿入口
客殿
阿弥陀如来拝観
阿弥陀如来立像(ネットから転載)
実際は厨子の中に安置
「義朝最期図」「頼朝先考供養図」のレプリカ
枝垂れ梅
ここからオマケ
「ザ・グッドサン・ビーチハウス」
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