だいぜんいん
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大善院(観蓮寺大善院)ではいただけません
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大善院(観蓮寺大善院)のお参りの記録(3回目)
投稿日:2022年08月07日(日)
参拝:2021年9月吉日
新四国八十八か所巡り六十三番札所⛩
大善院(だいぜんいん)は白鳳十二年(684年)御嶽山三百坊が滅亡の時、御本尊の十一面観音と不動明王、毘沙門天と三尊をここに移して奉安したそうです。当時は六坊あり、ここ大善院は本坊であり常滑城の鬼門に当たる場所になります。大善院と隣り合う鎮守の牛頭天王は城主水野家の氏神として代々崇敬されて二百石が寄進されています。
白鳳十二年(684年)に建立されたという知多半島最大の規模を誇ったという「御嶽山光照院」ですが、時が建つにつれ衰退していき、栄華を誇った光照院の衰退した姿を見てときの僧・養春上人が、南坊本尊十一面観音を観音浄土に相応しい現在の地に移したのが始まりと言われています。文明元年(1469年)、常滑城初代城主水野監物忠綱は領内安全を願い、常滑城の鬼門にあたる補陀落山観蓮寺に六坊を再建。本坊大善院に十一面観音菩薩を新たに造立、中興開山第一世興覚法印が入寺し復興の基盤がつくられています。
大善院(だいぜんいん)は白鳳十二年(684年)御嶽山三百坊が滅亡の時、御本尊の十一面観音と不動明王、毘沙門天と三尊をここに移して奉安したそうです。当時は六坊あり、ここ大善院は本坊であり常滑城の鬼門に当たる場所になります。大善院と隣り合う鎮守の牛頭天王は城主水野家の氏神として代々崇敬されて二百石が寄進されています。
白鳳十二年(684年)に建立されたという知多半島最大の規模を誇ったという「御嶽山光照院」ですが、時が建つにつれ衰退していき、栄華を誇った光照院の衰退した姿を見てときの僧・養春上人が、南坊本尊十一面観音を観音浄土に相応しい現在の地に移したのが始まりと言われています。文明元年(1469年)、常滑城初代城主水野監物忠綱は領内安全を願い、常滑城の鬼門にあたる補陀落山観蓮寺に六坊を再建。本坊大善院に十一面観音菩薩を新たに造立、中興開山第一世興覚法印が入寺し復興の基盤がつくられています。
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