とうかいしくまのじんじゃ
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東海市熊野神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 〈本殿〉速玉男命、伊弉冉命、事解男命 〈末社〉香良洲神社(稚日女命)、多賀社(伊邪那岐命・伊邪那美命)、津島社(建速須佐之男命)、山神社(大山衹神)、御嶽社(大己貴命、少彦名命)、愛宕社(軻遇突智命) | |
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創建時代 | 1560年頃 | |
ご由緒 | 熊野神社の創建は詳らかではないですが、古文書に書かれている神社の遠隔からおおよその創建を知ることが出来ます。永禄3年(1560年)桶狭間の合戦で、織田信長に敗れた今川義元の家臣の久野清兵衛宗政の、駿州(静岡県)久納山を出る際に所持していた弥陀・薬師・観音の三尊の内、観音を氏神の御神体としました。久野清兵衛の家屋の戌亥(北西)に永禄年間に宗政が寄進した氏神本社があり、この氏神本社の御神体としたと思われます。宗政は、弟祐長を神主とし屋敷内にあった氏神本社の宝永年間(1705年頃)に北の社へ移り奉り御除地に願い熊野三社と崇め奉りました。この古文書には、熊野から勧請したという記述は書かれていません。しかし、「熊野権現の造営」・「熊野三社と崇め奉る」とあり、「熊野三社宮」の社名額が現存しているので、紀州(和歌山県)熊野から勧請されたものと考えられています。熊野神社は、約400年以上も古くより地元住民の郷土意識と深く結ばれた氏神さま・産土さまとして愛されています。 |
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