ほうりんじ
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宝林寺の編集履歴
2023年02月17日 18時39分
ご由緒
矢作川の治水で根崎村の発展が大きく変わりました。
慶長10年(1605)に開削される。
寛永21年(1644)に堤防が造られると、それまで東端村の一部であった根崎には、美田を求めての入植者が多くなる。
慶安3年(1650)一つの村として独立。新しいまちづくりは、開拓民の心のよりどころとしての寺院の建設が必要だと友国村(現、西尾市友国)から入植してきた鈴木清太夫は考えました。直ぐに行動に移しましたが、目標を達成することなくこの世を去りました。長男は父の志を受け継いで京都の東本願寺から許可を取り付け、
承応2年(1653)長男は父の志を受け継いで京都の東本願寺から許可を取り付け雲松山宝林寺を開きました。開基は「釈浄信」と言います。
その後、明治維新での大浜騒動や太平洋戦争終戦期の二つの大震災など乗り越える。
昭和50年(1975) 長男は父の志を受け継いで京都の東本願寺から許可を取り付け、本堂の再建をはたす。
平成12年(2000)お非時場の完成、鐘楼門の再建、庫裏の再建が行われる。
創立
承応2年(1653)
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