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2023年02月13日(月) 17時17分 byハイチュウ
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伝教大師最澄の門下で真空阿闍梨が創立した霊場を、9代目の順空法師が親鸞聖人に帰依して浄土真宗に改宗し形谷山円光寺と改めたのが開基とされています。四条天皇天福元年(1233)7月のことです。 戦国時代、14世住職の順正のときには、三河一向一揆で徳川家康と戦い敗れ、順正は野寺本證寺の空誓を名乗って身代わりとなる戦死をしました。妻子は、母方の姻戚を頼って丹波国古市(現在の兵庫県丹波篠山市)へ落ち延びました。20年後に帰国復帰を許されて桜井郷稲納(現在の安城町稲尾)に戻りましたが、江戸時代になり幕府より現在のところに境内地を与えられて堂宇を設けました。家康が鷹狩りの時は立ち寄って休泊したと伝えられます。 庫裏再建時の発掘調査では、堀も確認されており、大きな鼓楼が目立ち、城郭伽藍の様式を見ることが出来ます。この大きくて立派な鼓楼は、江戸時代の末期、子供たちを集めて寺子屋が開かれていたと伝わります。
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あり
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約15分
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なし
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形谷山
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天福元年(1233)7月
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順空法師
