ほうぞうじ|曹洞宗|亀岳山
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宝蔵寺の編集履歴
2024年03月09日 19時04分
ご由緒
宝蔵寺は古代神宮寺七坊の一坊で喜祥三年(西暦850年)に慈覚大師によって当時天台宗として創建され、後に天台宗→真言宗山階派→真言宗国分寺派と変わっていきました。現在の曹洞宗になったのは江戸時代中期の正徳4年(西暦1714年)、刈谷市元刈谷楞厳寺江水禅師によって再建され現在の山号「亀岳山 宝蔵寺」と改め曹洞宗となっております。
見所
本堂には、宝珠錫枝地蔵菩薩(延命地蔵菩薩)、子安、安産、寿命増益として又、豊川茶吉尼天(白晨狐菩薩)は商売繁盛、家内安全福徳開運として祀っています。その他に西四国三十三観音、弘法大師を安置しています。
境内には弁財天座像を弁天堂に祀っています。弁天堂は明治用水開通までは宝蔵寺の西の裏山に農業用水溜池がありそこに祀られていました。
本堂裏には岡崎城主田中吉政により建てられた、美濃加賀野井城主弥八郎重茂の墓があります。弥八郎重茂は、慶長5年(西暦1600年)池鯉附宿にて刈谷城主水野忠重、浜松城城主堀尾可晴と会談酒宴中に闘諍となり弥八郎は忠重を刺殺し、弥八郎は可晴によって斬殺されました。
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