御霊神社の編集履歴
ご由緒
現在の桜区一帯は、昔刈谷林と呼ばれた茫漠たる山林原野であった。
ここに始めて開拓の鍬が打ち下ろされたのは享保11年(1727)こことである。
時の刈谷藩主は三浦義理である。
開拓地には山家敷を設け多数の農民が住みついた。
当時刈谷林に点在した村落は、旧字名の山の神、孤林、常慶、十三塚、池切、御霊山等である。
開拓の完成は定かではないが今日の繁栄の礎となったことは明らかである。
御霊山の字名は、ここに氏神として御霊宮を勧請したことによる。
崇道天皇を主祭神に御鏡、勾玉、御剣の神器を奉祀建立されたものが現在の御霊神社である。
御霊宮は古く清和天皇の頃、京都に建立された皇居の産土神で国家の守護と民びとの愛護、幸運を授ける神として崇敬をあつめた由緒深い神社であり全国にも数少ない貴重な存在である。
昭和53年10月8日、御遷宮を行い現在に至る。
(由緒碑より)
編集前:現在の桜区一帯は、昔刈谷林と呼ばれた茫漠たる山林原野であった。
ここに始めて開拓の鍬が打ち下ろされたのは享保11年(1727)こことである。
時の刈谷藩主は三浦義理である。
開拓地には山家敷を設け多数の農民が住みついた。
当時刈谷林に点在した村落は、旧字名の山の神、孤林、常慶、十三塚、池切、御霊山等である。
開拓の完成は定かではないが今日の繁栄の礎となったことは明らかである。
御霊山の字名は、ここに氏神として御霊宮を勧請したことによる。
崇道天皇を主祭神に御鏡、勾玉、御剣の神器を奉祀建立されたものが現在の御霊神社である。
御霊宮は古く清和天皇の頃、京都に建立された皇居の産土神で国家の守護と民びとの愛護、幸運を授ける神として崇敬をあつめた由緒深い神社であり全国にも数少ない貴重な存在である。
昭和53年10月8日、御遷宮を行い現在に至る。