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2023年02月21日(火) 19時59分 byハイチュウ
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ほんりゅうじ
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承安4年(1174)樋口左衛門正則が源空(法然上人)の従者として近江から遠江へ下る途中、この和泉村に道場を開いたのが始まりと伝わります。 応仁2年(1468)9代目の樋口正広が、蓮如に教化を受けて、「西蔵坊慶聞」の法名を賜わり、浄土真宗に転派しました。 弘治2年(1556)夏、落雷による火災で道場を失いますが、集落の力で2年後には再建されました。 慶長11年(1606)尾州野夫村(現、一宮市開明)円光寺の二休を道場主として養子に迎え、「本龍寺」と改めます。二休は、本願寺が東西分裂の時、教如を大津の四十九院(三井寺)まで送り届けたことがあり、教如秘蔵で聖徳太子の遺作と伝わる阿弥陀如来立像を授かり本堂に置きました。二休はその働きにより本龍寺中興の祖と言われます。しかし、その尊像は、明治35年(1902)1月13日の火災で本堂と共に焼失し、本堂は再建されたましが、昭和20年(1945)1月の大震災で再び倒壊、仮の本堂が2018年までありましたが、現在は改築されています。 日露戦争後の町村大合併で「明治村」ができた時は、役場が本龍寺に置かれたり、村の盆踊りが境内で行われたりしていました。 明治用水の功労者である都築弥厚の墓は左側奥の方にあります。
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承安4年(1174)
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樋口左衛門正則