だいじゅじ|浄土宗|成道山
大樹寺(松安院大樹寺)の編集履歴
見所
<h3>ビスタライン</h3>
大樹寺と岡崎城を結ぶ約3㎞の直線を『ビスタライン』と呼んでいます。
総門から岡崎城が望め、歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって礼拝したと伝えれれています。
<h3>徳川歴代の等身大位牌</h3>
松平八代と徳川歴代将軍(~十四代家茂)の等身大位牌が安置されています。
<h3>厭離穢土 欣求浄土</h3>
桶狭間の戦いで主君 今川義元が斃れ、身の危険を感じた家康(当時 元康)は先祖の墓前で自害をしようとしたところ住職に自害を留まる様に諭されますその時の言葉が厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)の経文。《戦国乱世を住みよい浄土にするのがお前の役目》という意味でこの後家康はこの八文字を座右の銘とし幟として掲げる様になりました。
松平4代•親忠公が古戦場の首塚付近に念仏堂を設けたのが始まり。
足利末期に建てられた多宝塔。格調の高さ、東海地方随一の美しさを誇る。
編集前:<h3>ビスタライン</h3>
大樹寺と岡崎城を結ぶ約3㎞の直線を『ビスタライン』と呼んでいます。
総門から岡崎城が望め、歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって礼拝したと伝えれれています。
<h3>徳川歴代の等身大位牌</h3>
松平八代と徳川歴代将軍(~十四代家茂)の等身大位牌が安置されています。
<h3>厭離穢土 欣求浄土</h3>
桶狭間の戦いで主君 今川義元が斃れ、身の危険を感じた家康(当時 元康)は先祖の墓前で自害をしようとしたところ住職に自害を留まる様に諭されますその時の言葉が厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)の経文。《戦国乱世を住みよい浄土にするのがお前の役目》という意味でこの後家康はこの八文字を座右の銘とし幟として掲げる様になりました。
足利末期に建てられた多宝塔。格調の高さが今に伝わる。