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やまぐちはちまんしゃ

山口八幡社の御由緒・歴史
愛知県 山口駅

ご祭神《主》神功皇后,天照大神,天目一箇神
ご由緒

山口神社。社名を山口八幡社というが地元からは単に八幡社と呼ばれている。社伝によれば、1221年の承久の変の折、山田次郎重忠が後鳥羽上皇に加勢し奮戦したが敗れ、重忠は一族とともに、この山口村へ落ちのびた。そしてここに八幡宮を勧請したといわれる。建物は南から石鳥居・二ノ鳥居・唐門・拝殿・祝詞殿・本殿と続くが、この石鳥居の脚柱に延宝5年(1677年)12月吉日の年号があり、これは瀬戸市内の鳥居の中で最古のものである。境内の西の一段高くなった所に「山口天神社」と「山口稲荷神社」の末社が鎮座し、稲荷社は横穴式石室の中に社殿がある。また境内には通称「杉塚」と呼ばれる古墳群がある。
(『Setopedia』より)

創建については明らかでない。
「本国帳」に山田郡従三位山口天神と記す。元禄11年(1698)発刊の「尾張風土記」にも載る古社である。
明治5年5月、郷社に列格。
大正元年12月12日、字海上344番地の多度社と字南山60番地の神明社の両社合祀した。
9等級、郷社。
(『愛知縣神社名鑑』より)

当社は古くは山口神社といわれ、延長四年編纂の延喜式神名帳には「尾張国山田郡小口神社」と記載され、本国神名帳山田郡条にも「従三位小口天神篠城庄野口村八幡社歟」と記されています。これは「山口」を「小口」と誤写したものです。

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