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たくみのじんじゃ

託美神社の御由緒・歴史
愛知県 木津用水駅

ご祭神《主》日本武尊,大美和都禰命
ご由緒

当社は中古社号を工造神社神明と呼称していたが、いつ頃からか神明と唱えるようになり、弘化年間(1844~1847)に託美神社と呼称して現在に至っている。
一説に大工の祖神を祀ったともいわれている。

託美神社(たくみじんじゃ/たくみのじんじゃ)は『延喜式神名帳』にある「託美神社(尾張国・丹羽郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

創祀年代は不詳。御祭神は日本武尊・大美和都根命。丹羽郡の別の式内社「宅美神社」と同様、工氏(工君・工造・工部、たくみ)との関連があるという。
大美和都根命は、工造の組神、天火明命の十世孫で、「宅美神社」でも御祭神とされる場合がある。
また、「宅美神社」の御祭神は、当社御祭神の日本武尊の子である武田王、つまり稲依別王。当社と「宅美神社」は、父子関係になる。
ただし、両者の関係は不明。なお、式内社「宅美神社」の論社は、一宮市西大海道の宅美神社、犬山市今井の石作神社、小牧市の兒社(児社)がある。
『尾張国内神名帳』に、「詫美天神」とある。かつては現在地の北西500メートルほどの位置。
江戸時代には「神明社」と称し、江戸時代前期の慶安年間(1648年-1652年)木津用水東岸に接した現在地に遷座した。移転は熱田新田へ水を引くための工事に伴うもの。

江戸時代後期の弘化2年(1845年)10月17日に式内社に認定され、明治になり、明治3年(1870年)2月、改めて式内社とされた。論社はない。

明治5年(1872年)5月、村社に列し、明治42年(1909年)9月1日、神饌幣帛供進社に指定された。
入口の鳥居前に石造の太鼓橋があるのが特徴。参道らしきものはなく、すぐに透垣に行きつく。
比較的コンパクトな境内だが、構造物は重厚で歴史を感じる。境内社に、金刀比羅社・津島社・熱田社・田村社などがある。

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