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じょうえんじ|真宗大谷派方鏡山

浄円寺の編集履歴
2024年02月03日(土)
愛知県 牛久保駅

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シンくん
2024年02月03日 02時54分

ご由緒


 方鏡山浄円寺(真宗大谷派)の創立は、1534年(天文3年)、開山は釈了証法師。
本尊は1632年(寛永9年)造立の阿弥陀如来像であり、1534年(天文3年)はじめて
一個公称寺院方鏡山浄円寺の許可を受け、1574年(天正2年)吉田(豊橋)城東川毛より
下リ町(豊橋市花園町)に移った。
 浄円寺創立以来の経過は明らかではないが、「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)の
誓念寺の条に「右浄円寺、境内年貢諸役御免、水野隼人正様御地頭之節御証文在之」とある。
1595年(文禄4年)、教如上人によって誓念寺が創立され、京都東本願寺別院となったが
御坊無住の為『応通寺・蓮泉寺・浄円寺・正琳寺・仁長寺』の5か寺が1879年(明治12年)
まで交代で御堂役を務めた。また「羽田名蹤綜録」にも1642年(寛永19年)年9月11日
水野隼人正からの諸役御免の証状のほか、松平信高(信祝(のぶとき))まで4代領主の証文が
載せてあり、川毛時代から領主に特別な待遇を受け、御堂役の筆頭となっていた。
 境内には1810年(文化7年)に建てた経蔵があり、
黄檗(おうばく)版一切経(いっさいきょう)など、当時12世了願師の自著稿本数十巻をはじめ
和漢の書籍数千巻を収めてあった。1945年(昭和20年)6月の豊橋空襲により
境内建物を全焼した。しかし、本尊・過去帳外重要文書はこれを免れた。
1946年(昭和21年)豊橋市花園町に本堂を再建したが、
1971年(昭和46年)豊橋市大村町黒下に鉄筋コンクリート造り2階建ての
本堂・庫裏を新築し移転した。

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