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2024年02月07日(水) 17時54分 byハイチュウ
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浄土宗鎭西派円成寺(津島市)の末寺である。 『佐屋村誌』には、「安永年間(1772~1781)に、佐屋八幡社の西に佐藤文蔵という豪農があったが、長男の文左衛門が21歳という若さで死去。両親は悲歎限りなく無常を感ずるの余り、津島の中一色村円成寺の関通上人に帰依し、発心剃髪し、善加と名のり、奥さんは智妙と改名した。善加が亡くなった後、名古屋の熱田尾頭町にあった妙安寺の薬師堂を天明5年(1785)に譲り受け、佐藤七兵衛屋敷に建立した。所蔵していた阿弥陀如来を安置して阿弥陀寺と名のり、寛政2年(1790)に円成寺の末寺となった。その後、ずっと黒宮家一統の後援によって順次整備されたが、堂宇が狭いので時の豪家黒宮紋左衛門が施主となって本堂の建立に着手して、天保9年(1838)4月18日に竣工して入仏供養をした。」とある。 当寺は尼僧寺である。山門は鐘楼門で「寂静院」の木額が掲げられている。これは、佐藤文蔵の院号による。 (『佐屋町史』より)
