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2024年03月08日(金) 13時30分 byハイチュウ
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文禄元年(1592)僧常通が本願寺第12代教如に深く帰依し尽力したので、その功を褒めて本尊阿弥陀如来の絵像を下付されたのが開創の事情と伝える。 最初のころは知多郡大野の光明寺の末寺であり、この光明寺を通して本山からの伝達があった。 延享3年(1746)第10代円了が、早尾村に寺基を定めて本堂・庫裏等を整備したので、これを中興の祖としている。 江戸時代末期、第16代空音は、本山の改革を唱えて同行と共に訴えたり、尾張南部地方の干拓事業に協力したりしたが、すべて失敗に終わり退隠した。 明治24年10月28日の濃尾大震災により、本堂始め寺内諸堂ことごとく倒壊し、檀家も大半の家が倒れ、惨状目をおおうものがあった。当時本堂は茅葺き屋根であった。 明治41年12月に本堂を再建、鐘楼も大正12年3月に完成した。 梵鐘は第二次世界大戦の時に供出されたが、昭和24年3月24日に再鋳し、今日に至っている。 (『立田村史』より)
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文禄元年(1592)
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(開基)常通 (中興)円了
