御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

編集詳細

2025年04月01日(火) 13時30分 byハイチュウ

履歴一覧へ戻る
ご由緒
編集前
大山寺教会は真宗大谷派に属し、最初は大山寺説教場と称していた。
大山寺には往古に、村名の由来となった大山寺という寺があったとされるが、後に浄土真宗の林証寺が創建された。しかしこの寺も、徳重(西春町)に移転したので、それ以来村内に一つの法話場もないことを遺憾に思った信徒一同が、浄財を集めて明治12年(1879)に大山寺説教場を建立したのである。
明治13年2月、東本願寺光勝法主から「この説教場においてはたびたび会合がある為、神妙におぼえ候、いよいよ退転なく法義相続あるべきものなり。」という消息が届いている。
明治24年、濃尾震災には難をまぬがれたが、その後破損がはなはだしくなる。
昭和26年、宗教法人大山寺教会を設立。
昭和27年、再建に着手。
昭和28年春、落慶法要を営む。
宝物として、一切経がある。また、市指定文化財の柿経(永享11年 1439年)がこの教会に保管されている。
(『岩倉市史 下巻』より)
編集後
大山寺教会は真宗大谷派に属し、最初は大山寺説教場と称していた。
大山寺には往古に、村名の由来となった大山寺という寺があったとされるが、後に浄土真宗の林証寺が創建された。しかしこの寺も、徳重(西春町)に移転したので、それ以来村内に一つの法話場もないことを遺憾に思った信徒一同が、浄財を集めて明治12年(1879)に大山寺説教場を建立したのである。
明治13年2月、東本願寺光勝法主から「この説教場においてはたびたび会合がある為、神妙におぼえ候、いよいよ退転なく法義相続あるべきものなり。」という消息が届いている。
明治24年、濃尾震災には難をまぬがれたが、その後破損がはなはだしくなる。
昭和26年、宗教法人大山寺教会を設立。
昭和27年、再建に着手。
昭和28年春、落慶法要を営む。
宝物として、一切経がある。また、市指定文化財のこけら杮経(永享11年 1439年)がこの教会に保管されている。
(『岩倉市史 下巻』より)