かわまたしたじんじゃ
もと高野の杜(古川早渡川の川渕、今の字野口)に鎮座していたが、中古以来木曽川の一支流古川が度々決壊した後にその決壊を止めようとして社を堤防の側に移したとされる。この社は、元禄9年丙子3月の帳簿に白山社とされ、天保11年子2月従三位川俣下神社と改称、字河端であったが同時に川俣と変更される。明治5年壬申7月に郷社となり明治42年から神饌幣帛料供進の神社に指定せられ郡長が参向した。
桧皮葺
4月1日に祭礼か?
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