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楽しみ方善昌寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月31日(日) 22時11分06秒
2017年4月27日に初めてお詣りしました。
善昌寺さんは昔は政秀寺さんの末寺であった臨済宗妙心寺派のお寺です。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
善昌寺さんの山号は金龍山です。
寛永5年(1628年)に槐山宗三が藩主義直より寺地を拝領して瑞雲寺を建立しました。
また、尾張名所図会には、「いはき殿(岡崎殿ともいう)が名古屋城下に千日堂という念仏所を建てましたが、その後禅僧が住持するようになって妙心寺派のお寺となった。ちなみにいはき殿とは信長公の息女である」と見られ、織田氏系図を見ると信長の長女に徳子という名前があり、岡崎三郎信康(徳川家康長男)の室なりと名古屋市史が小文字で注釈しています。
寛永17年(1640年)、織田左衛門佐信盛(善昌院徳厳常英)を開基とし、二世松月宗怡が中興しました。
天保3年(1832年)、善昌寺に寺号を改名しました。
善昌寺さんは昔は政秀寺さんの末寺であった臨済宗妙心寺派のお寺です。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
善昌寺さんの山号は金龍山です。
寛永5年(1628年)に槐山宗三が藩主義直より寺地を拝領して瑞雲寺を建立しました。
また、尾張名所図会には、「いはき殿(岡崎殿ともいう)が名古屋城下に千日堂という念仏所を建てましたが、その後禅僧が住持するようになって妙心寺派のお寺となった。ちなみにいはき殿とは信長公の息女である」と見られ、織田氏系図を見ると信長の長女に徳子という名前があり、岡崎三郎信康(徳川家康長男)の室なりと名古屋市史が小文字で注釈しています。
寛永17年(1640年)、織田左衛門佐信盛(善昌院徳厳常英)を開基とし、二世松月宗怡が中興しました。
天保3年(1832年)、善昌寺に寺号を改名しました。

2017年4月27日撮影
善昌寺さんの入口です。
善昌寺さんの入口です。

2017年4月27日撮影
入口から入った善昌寺さんの境内です。
入口から入った善昌寺さんの境内です。

2020年10月30日撮影
本堂です。禅宗のお寺は土足のまま堂内に出入りできるよう縁側が周囲にありません。
本堂です。禅宗のお寺は土足のまま堂内に出入りできるよう縁側が周囲にありません。

2020年10月30日撮影
境内に安置されている観音菩薩像です。
境内に安置されている観音菩薩像です。

2020年10月30日撮影
善昌寺さんの表札です。たぶん庫裏に掛けられていたと思います。
善昌寺さんの表札です。たぶん庫裏に掛けられていたと思います。
すてき
投稿者のプロフィール
しんめいしゃ46投稿
若い頃から歴史が好きでした。仕事場が奈良県で歴史の真っただ中にいました。定年に近くなった頃、長年思っていた事ーー寺社巡り&遺跡巡りを始めました。定年後は名古屋に居を移し、名古屋市内を皮切りに尾張...もっと読む
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