けんちゅうじ
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楽しみ方建中寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年12月09日(火) 11時40分07秒
参拝:2025年12月吉日
「東海三十六不動」第8番札所です。
1651年に第2代尾張藩主徳川光友が、父である徳川義直の菩提を弔う為、尾張徳川家代々の菩提寺として尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、下総国結城の弘経寺住持であった成誉廓呑上人を開山として義直の位牌を祀る本堂などが建立されました。
1785年大曽根の大火が発生した際、火のついた布団が本堂の屋根に乗って本堂が炎上してしまい、第5代藩主徳川五郎太の御霊屋、総門、三門を除いて5つの御霊屋と多くの堂が焼失してしまいました。
1786年から1787年にかけて第9代藩主徳川宗睦と第19世辨及喚阿が中興され、それまで無かった初代藩主義直の御霊屋を含めて新たに4棟の御霊屋が建立されましたが、その際五郎太の御霊屋が徳川光友室千代姫(霊仙院)の御霊屋に改装されました。
お昼ギリギリになりましたが、親切に対応して頂きました😌
1651年に第2代尾張藩主徳川光友が、父である徳川義直の菩提を弔う為、尾張徳川家代々の菩提寺として尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、下総国結城の弘経寺住持であった成誉廓呑上人を開山として義直の位牌を祀る本堂などが建立されました。
1785年大曽根の大火が発生した際、火のついた布団が本堂の屋根に乗って本堂が炎上してしまい、第5代藩主徳川五郎太の御霊屋、総門、三門を除いて5つの御霊屋と多くの堂が焼失してしまいました。
1786年から1787年にかけて第9代藩主徳川宗睦と第19世辨及喚阿が中興され、それまで無かった初代藩主義直の御霊屋を含めて新たに4棟の御霊屋が建立されましたが、その際五郎太の御霊屋が徳川光友室千代姫(霊仙院)の御霊屋に改装されました。
お昼ギリギリになりましたが、親切に対応して頂きました😌
すてき
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