そうおうじ|浄土宗|宝亀山
相応寺のお参りの記録一覧
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1643年、尾張藩初代藩主徳川義直が生母相応院お亀の方の菩提のため、現在の東区山口町に12000坪の境域を定め建立しました。
1650年、江戸で没した義直の遺骨を当寺に入れて供養し、後に定光寺(瀬戸市)に義直廟墓が造営され葬られました。
寺領300石を賜り、その後尾張徳川家の夫人・子女が葬られるとともにその遺品も納められました。
昭和9年、東区山口町から現在地へ本堂、総門、山門、鐘楼等が移建されました。
御朱印は2種類ありました。
かつては名古屋の清水寺と呼ばれていたそうです。少し高台にあるお寺さんです。
「阿弥陀如来四十八願所 第二番札所 相應寺」
総門
山門
不動の瀧 枯渇しています。
鐘楼
かわゆい水盤
石仏さんたち
本堂
本堂から見下ろすとこんな感じ。戦前まで京都の清水寺を模した舞台があったとか。これが名古屋の清水寺と呼ばれた由縁です。
庫裡
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尾張ナゴヤは「寺」で持つ? 32
覚王山日泰寺から歩いて7分。尾張徳川家ゆかりの浄土宗寺院。
初代藩主徳川義直の生母である「相応院お亀の方」の菩提を弔うために建立されました。
そのお亀の方は、徳川家康に見染められて側室に入り京都伏見で過ごし、子宝に恵まれました。
その九男が初代藩主義直です。彼は、京都の伏見深草で過ごした一宇を「清涼院」としてお亀の方のゆかりの寺院として建立しました。
3年前の「浄土宗寺院特別公開」があり、その時に名古屋の相応寺を知り、もう少しお話を聞きたかったのですが留守でした。
山門です。
ここから登っていくと本堂です。
本堂です。
くりは、ここから右手に下った所にありましたが、留守でした。
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