にしはちりゅうしゃ
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楽しみ方西八龍社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月13日(水) 12時51分32秒
参拝:2025年8月吉日
西八龍の龍
昔々の話です。天の一角に黒雲に包まれた龍の住み家があったそうな。その龍の子供は暴れん坊でな、 親も、天の神様も、手をやいてござってな。とうとう「暴れん坊を地中に閉じこめよ」ということになったんじゃ。そして、その 「地を庄内川の北、今の味腕の里とお定めになったそうな。
親の龍は悲しんだが、神様のお決めになったことゆえ、どうすることもできなかったのでな。せめて親の思いだけでも伝えようと、たびたびこの地まで出かけてくるようになっての、おかげで、そのたんびに稲妻が走り、雷鳴が轟き、大雨が降るもんでな、お百姓さんは、困ってしまって、味腕の神様にお祈りしたそうな。するとな、お告げがあって、この地に社を建てて龍神をまつり、祈れということだった。社を建てて龍神をまつり、 被害なきようお祈りをしたところ、たちまちのうちに願いがかなえられたそうな。 その社が、西八龍社で、庄内川が何度大水になっても、一度も洪水で流されたことがないそうな。
時々落雷があって、被害が出たそうなが、このお社のお守りを持っておると免れることができたそうな。そのために遠くから、お札をもらいに来る人があるんだと。
このお社の境内は、かっこうの遊び場所で腕白坊主が集まっては遊んでおったが、どういうわけか、この境内ではけががなかった。ありがたいこっちゃ。
いつだったか境内の大杉に落雷して、 大木が燃えた事があった。それを知って「西八龍様も落雷するのだからお守りのききめもあてにならん」というた奴がおったがおろかな奴よ。ほかに落とさず、わが身で引き受けてくださったのだとなぜ考えれんのかのう。
今では、むかしのおもかげもなくなって、西八龍社と東八龍社の間のみこしの渡御もむかし語りとなってしまった。寂しいのう。
(小島勝彦「尾張の民話手控帳」より)
昔々の話です。天の一角に黒雲に包まれた龍の住み家があったそうな。その龍の子供は暴れん坊でな、 親も、天の神様も、手をやいてござってな。とうとう「暴れん坊を地中に閉じこめよ」ということになったんじゃ。そして、その 「地を庄内川の北、今の味腕の里とお定めになったそうな。
親の龍は悲しんだが、神様のお決めになったことゆえ、どうすることもできなかったのでな。せめて親の思いだけでも伝えようと、たびたびこの地まで出かけてくるようになっての、おかげで、そのたんびに稲妻が走り、雷鳴が轟き、大雨が降るもんでな、お百姓さんは、困ってしまって、味腕の神様にお祈りしたそうな。するとな、お告げがあって、この地に社を建てて龍神をまつり、祈れということだった。社を建てて龍神をまつり、 被害なきようお祈りをしたところ、たちまちのうちに願いがかなえられたそうな。 その社が、西八龍社で、庄内川が何度大水になっても、一度も洪水で流されたことがないそうな。
時々落雷があって、被害が出たそうなが、このお社のお守りを持っておると免れることができたそうな。そのために遠くから、お札をもらいに来る人があるんだと。
このお社の境内は、かっこうの遊び場所で腕白坊主が集まっては遊んでおったが、どういうわけか、この境内ではけががなかった。ありがたいこっちゃ。
いつだったか境内の大杉に落雷して、 大木が燃えた事があった。それを知って「西八龍様も落雷するのだからお守りのききめもあてにならん」というた奴がおったがおろかな奴よ。ほかに落とさず、わが身で引き受けてくださったのだとなぜ考えれんのかのう。
今では、むかしのおもかげもなくなって、西八龍社と東八龍社の間のみこしの渡御もむかし語りとなってしまった。寂しいのう。
(小島勝彦「尾張の民話手控帳」より)
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