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辻地蔵堂(黒川樋門)ではいただけません
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つじじぞうどう(くろかわひもん)

辻地蔵堂(黒川樋門)のお参りの記録(1回目)
愛知県上飯田駅

投稿日:2023年03月29日(水)
参拝:2023年3月吉日
黒川樋門のかたわらにおられる、お地蔵さんと馬頭観音さんです。
辻地蔵堂(黒川樋門)の本殿
馬頭観音さんとお地蔵さん
どんな歴史があるのか分かりませんが、川で遊ぶ子供達や舟で荷物を運ぶ人達をそっと見守っていたのかもね。
辻地蔵堂(黒川樋門)の地蔵
お地蔵さん
辻地蔵堂(黒川樋門)の仏像
馬頭観音さん
辻地蔵堂(黒川樋門)の周辺
(周辺情報)
黒川樋門 庄内川から黒川(堀川)へ用水を引くために設けた樋門(ひもん)であり、矢田川の地下を通り、ここから黒川へ流れ込みます。
3連の樋門に2つの石段があり、巻上機の上屋は木造で復元されています。
樋門の上も人が通れるようになっていることから、黒川の景観をより身近に感じさせるものとなっています。
辻地蔵堂(黒川樋門)の周辺
辻地蔵堂(黒川樋門)の周辺
辻地蔵堂(黒川樋門)の周辺
堀川だけど黒川です。
天命4年(1784) 水害から街を守る為、大幸川の流路を変えて堀川につなげられました。そこから約100年後の 明治10年(1877) 犬山と名古屋をつなぐ川をつくって船で人や荷物を運んだり、 農業用の水として利用するための大規模な工事が行われました。 この工事で、 新しく作られた川と堀川がつなげられて、現在のような形になりました。 名古屋城より上流の堀川は、工事を担当した技師の黒川治愿の名前にちなんで、今も「黒川」と呼ばれています。
辻地蔵堂(黒川樋門)の周辺
黒川樋門のすぐ下流は桜の名所です。
慶長15年(1610)徳川家康は豊臣方との戦に備えて名古屋台地の上に大きなお城と街をつくるように命じました。この時、清須から街ぐるみの大引っ越しが行われました。これが世に言う「清須越し」です。
街でたくさんの人たちが暮らすために川が造られました。これが堀川です。
辻地蔵堂(黒川樋門)の周辺
御用水跡
今は用水路は埋め立てられ緑道公園になっています。
辻地蔵堂(黒川樋門)の周辺

すてき

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