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じうんじ|西山浄土宗相羽山

慈雲寺の境内・文化財
愛知県 有松駅

文化財

慈雲寺の建物について

 慈雲寺の本堂は、幕末から明治にかけて、日本で最も優れた寺社大工の一人として有名だった、小野田又蔵(愛知県三好町出身)を棟梁として建設されました。慈雲寺は、小野田の技術が最も円熟した50代の時の作品で、建設予算もきわめて潤沢であったため、建物の規模は小さいが、彼の代表作の一つとして建築史の関係者などに注目されています。
 本堂の間口七間(約12.7m)、奥行き七間半(13.6m)。内部は総欅造りで、外部はケヤキとヒノキを使っています。欄間の彫刻などは非常に絢爛なもので、目にガラスの玉眼が嵌められたものも多く、その生き生きした表情が特徴です。
 また、慈雲寺の山門は、もともと相羽家の門だったものを移築したもので、典型的な江戸時代の上級武家門です。建設時期は特定されていませんが、安政年間(19世紀半ば)に描かれた絵の中に登場しています。

「美肌弘法さん」について
 慈雲寺は浄土宗西山派(西山浄土宗)に属する寺院ですので、御本尊は阿弥陀如来ですが、本堂奥の左手に弘法大師もお祀りしています。
 慈雲寺は現在、名古屋市内に位置していますが、昭和中期まで知多郡に属していました。知多半島には、知多四国と呼ばれる巡礼地もあり、お大師信仰の盛んな地域です。慈雲寺の弘法大師像が、いつ、どこから請来されたのか明らかな記録はありません。しかし、個人で大師堂を護っていた方が亡くなられてあと、慈雲寺で引き取ったと言い伝えられています。
 慈雲寺の弘法大師像は、非常に珍しい若々しい姿です。目にはガラスの玉眼が嵌められており、表情も生き生きして、お肌もつややか。慈雲寺が皮膚科の医家の寄進で建てられたという背景があるので、美肌の弘法さんともご縁があるのかもしれません。
 弘法様の御利益で、穏やかな心でストレスから解放されれば、美肌の御利益も期待できそうですね。

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