とべじんじゃ
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富部神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》素戔嗚尊 | |
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創建時代 | 慶長8年(1603) | |
ご由緒 | 富部神社は慶長8年(1603)、愛知県津島市に鎮座する津島神社から勧請されたことに始まります。その後慶長11年(1606)、清洲城主松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。その後代々の藩主による崇敬篤く、江戸時代を通して尾張藩の国印地として毎年百石が寄進され、営繕は藩主により行われています。なお、天保12年(1841)『尾張名所図会』「蛇毒神社」に、当時の境内の様子を詳しく見ることができます。創建以来、「富部蛇毒神天王」「蛇毒神天王」「蛇毒神社」などと呼ばれていましたが、明治に入り現在の「富部神社」と改称され現在に至ります。牛頭天王と同様に素戔嗚尊と同体とされ、疫病退散の神として信仰されています。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車(高砂車)は名古屋市指定有形文化財に指定されています。 | |
歴史 | 由緒[編集] 創建は慶長8年(1603年)、清洲城主松平忠吉が今より西にあった素盞嗚尊を祀る祠を現在の地に移したとも、津島神社より牛頭天王を勧請したともいわれる。 松平忠吉が病に悩まされていた時、富部神社に祈願したところ回復した。その報恩のしるしとして慶長11年、本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建て、神社の東に神宮寺として海雲山天福寺を建て、社領100石を寄進した。 明治になると神仏分離令により天福寺は廃され、本社は祭神を素盞嗚尊とし存続した。明治11年(1873年)、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、菊理姫命を合祀。 戸部政直の碑が移転された。 | |
引用元情報 | 「富部神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AF%8C%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98007692 |
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