からくにうずみねじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
御朱印 | - | ||
---|---|---|---|
駐車場 | あり |
おすすめの投稿
【大隅國 式内社巡り】
韓國宇豆峯神社(からくに・うずみね~)は、鹿児島県霧島市国分上井にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は五十猛命、事代主命。通称「韓国(からくに)大明神」、「韓国(からくに)さま」。
創建は不詳。『続日本紀』によると大隅国設定の翌年、714年に豊前国から二百戸の民を隼人教導のため移住させたと記載があり、その移住者たちが国家鎮護のために創建したと伝わる。『宇佐記』によると、「欽明天皇32年(571年)に豊前国宇佐郡菱形池の上小椋山に鎮祭、のちに当地宇豆峯(現在の宇土門)の絶頂に奉還鎮斎され、国司の進言により「謁祭に便ならざる」を以て麓の現在地(小字内門)に奉還されたのは永正元年(1504年)」との記載がある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「大隅國 囎唹郡 韓国宇豆峯神社 小」に比定されている。なお、祭神の五十猛命は父神・須佐之男命とともに韓国(からくに)と我国とを往来して両国の友好を図ったことから社名に「韓国」と入れ、山林の美称として「宇豆峯」と入れたとされる。上古は朝廷からの崇敬も篤く、中世以降は島津家も藩費を持って式年の造営を行い、16代当主・島津義久、21代当主・島津吉貴は特に崇敬した。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR日豊本線・国分駅の南東3kmほどの小丘の南東麓にある。目の前に検校川という小川があって、境内は小高くなっている。境内は旧県社としてはコンパクトで、草木はやや少なめで明るい。参道脇に配された鬼瓦と、社殿、鳥居、境内社などが鮮やかな朱色塗りで統一されていることが印象に残る。境内が徹底的に掃き清められていてとても気持ちが良かった。
今回は、大隅國の式内社、鹿児島県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外にも数人参拝者を見掛けた。
境内南東端全景。手前は川沿いの平らな耕作地で、森の入口のような雰囲気。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。
参道の左右ところどころに、なぜか<鬼瓦>のような置物が。
塗装がパリッとした<鳥居>をくぐる。一段高いところに<社殿>が見える。
鳥居をくぐってすぐ左側の境内社。
鳥居をくぐってすぐ右側の境内社。参道の両側にあるので門守社かな。
階段を登って進み、拝殿の右手にある<手水舎>。
<拝殿>全景。壁がない様式になっている。
<拝殿>内部。拝殿に壁がないので、奥の<本殿>が橋の先に直接見える。
拝殿から振り返って境内全景。広い境内には落葉一つなく、非常にきれいに掃き清められていて、とっても気持ちが良い~♪ (o^―^o)
社殿の右手にある、小池の向こうの斜面に建つ境内社。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿と本殿の間には水が流れていて、橋で繋がっている。
拝殿の左側の建物。
拝殿に向かって左手にある石碑。
最後に、やっぱり気になる<鬼瓦>のような置物。狛犬の代わりの魔除けかな。(^▽^)/
大隅国曽於郡の式内社です。
韓国とは言いますが大韓民国ではございません!!その前に「からくに」と読みます。
ちなみにこの「韓国(辛国)」と着く神社は式内社で11社もあります。
《一の鳥居と社号碑》
《由緒書き》
ここに書いてある通り、お稲荷さんなど多数の神社を創建した渡来系氏族「秦氏」が豊前国から大隅国に移動したときに「韓国神社」も移動したとされてます。
豊前国の方には辛国息長大姫大目姫神社がありこの元宮だと思うのですが…御祭神が違う気が…
《表参道》
随身門はなく、門の神の社があります。
《手水舎》
水は流れています。
《末社群》
《拝殿》
☆チェックポイント!!
宮内省内にあった園韓神社は御祭神が大国主命さま、少彦名命さまで、
河内国の辛国神社は饒速日命さまで、豊前国と当社は上記の通りと御祭神がバラバラで、カテゴリとしては正体不明なところが多いです。ミステリー…
《池?川?》
鯉が泳いでました。
《本殿》
《岩》
ひょうめんは かがみのように ピカピカだ!
元ネタが分かる人は同世代です。
山の近くで人里から少し離れてとても静かな神社でした。朱色の社殿、門の神の社など、開聞神社とよく似た部分がいくつかありますね。
近くの神社お寺
韓国宇豆峰神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
10
0