えぐりじんじゃ
殖栗神社三重県 保々駅
参拝/24時間
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 境内川沿の小道を通り裏側へ 10台ほど |
名称 | 殖栗神社 |
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読み方 | えぐりじんじゃ |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 059-339-0056 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《合》天照皇大御神,素盞嗚尊,市寸島比売命,大山祇命,天穂日命,蛭子命,殖栗連,大土神,応神天皇,《主》天児屋根命 |
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ご由緒 | 創祀年代は織田信長の家臣滝川一益による北伊勢侵攻の戦火に遭い、古書が消滅して詳らかでないが、国史の正史『延喜式神明帳』に記載されていること、また、宝物に日本最古の棟札と伝わっている「天平三年」(731年)の棟札が保存されていることから、およそ1200年以前には国家の待遇を受けており、その創始時代を推定することができる。「殖栗」の由来は、保々(ほぼ)の地域が弥生から古墳時代に遡る古い歴史の中で、『続日本紀』和銅三年頃保々郷の発生と神社の創建に由縁を待つ、奈良の春日大社に仕えていた殖栗一族が、共通する祖先神たる「天児屋根命」と、その氏上「殖栗連(えぐりむらじ)」をお祀りしていることから、その氏族の名が社名として付けられたのである。中世になると氏族制度の崩壊と郷村制社会の発展により、地方の氏族が入り住むようになり、「神鳳鈔」には「保々御厨」の記載があり、伊勢神宮との関係が特に著しいものとなっていたのである。「明治の合祀令」により、保々地区でも明治41~44年にかけて、各大字の氏神の合祀が進められ、明治44年4月1日こ現在地に遷座され、保々全体の守護神・総氏神として今日に至っている。特殊神事:毎年秋季「例祭」に奉納される「市場町獅子舞」(市指定無形文化財)は、室町時代の康生年間に保々城の城主であった朝倉備前守が武運招複・五穀豊穣を祈願して、神前に奉納したことが起源であると伝えられている。 |
体験 | 絵馬七五三御朱印 |
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