しだれ桜がキレイなようです。1か月遅かったです😭来年は見に行きます。
(縁起)
平安末期には村内大日ケ浴にあった行基菩薩ゆかりの真言伽藍が荒廃したため、本尊大日如来がこの地に移されて光明寺と号した。この真言伽藍も戦乱や飢饉によりいつしか諸堂は荒廃し、大日如来が鎮座する堂を残すのみになる時代もあったという。
応永6年(1399年)守護大名の大内義弘が起こした反乱で義弘が憤死すると、残った大内盛身と大内弘茂による家督相続争いが勃発し、この内戦の際に光明寺の伽藍はことごとく焼失して再び本尊のみになった。里人達は三間四面の草庵を跡地に結び本尊を奉り、今に至っている。