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孝謙天皇宮について

茨城県に伝わる弓削道鏡伝説に纏わる神社

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孝謙天皇宮の基本情報

住所茨城県小美玉市竹原1443
行き方
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名称孝謙天皇宮
読み方こうけんてんのうぐう

詳細情報

ご祭神《主》孝謙天皇
創建時代不詳
創始者伝・弓削道鏡
ご由緒

本社は孝謙天皇を祀る無格社ですが、創建年代については明らかではありません。 孝謙天皇は第46代の天皇で、天平勝宝元年(749)に即位され、約15年間にわたって在位された女帝です。
伝説によりますとこの社は、女帝崩御により権勢を失い下野薬師寺に配流となった弓削道鏡が、領地のあった竹原に移り住み、寵愛を受けた孝謙天皇を偲んで建てたといわれ、社殿のほか「御陵」も築いて毎日礼拝したと伝えられております。
元禄13年、竹原が水戸藩の支藩である守山藩の領分になりますと、藩主の信仰厚く、祭日には役人を出張させて祭りを行いました。昔は、旧暦の八月四日が祭日でしたが、後に九月四日に行われるようになりました。
また、祭日には必ず相撲が行われ、各地から力自慢の人たちが大勢集まりましたが、今では見られなくなりました。
かっては、近くに岩屋権現古墳(古墳の規模については不詳)がありましたが、これについても次のような伝説があります。
貞亭年間(1685年頃)この塚が毎夜光を発するので一農民が発掘した所、石棺の中から剣、鏡、玉を発見し、玉と鏡を持ち帰り玩具としたところ、たちまち眼病になり失明。
驚いて孝謙宮に奉納したといわれています。その後、孝謙宮は火災により焼失しましたが、今でも焼けた玉と鏡と伝えられるものが竹原神社の宝物庫に保管されております。
(神社案内板より)

体験伝説
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